4代目住職、尼僧です!

33歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

尼僧は袈裟も可愛く♡

私のお気に入りの「修多羅(しゅたら)」をご紹介します。

 

まず、「しゅたら」とは、 

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コレのことです。 

 

「しゅたら」はサンスクリット語「スートラ」のことで、「スートラ」は経典などを意味します。袈裟の背中側、左肩からぶらりと垂れ下がっているこの組紐は、もともとは経典を背負うためのものだったようです。

ちなみに今はこれを使って経典を背負ったりはしません。ただぶらりと垂らしているだけです。

 

 

私が住職に就任するとき、記念に袈裟を作ってもらいました。導師を勤めるときに身につける「七條袈裟(しちじょうげさ)」と言われる袈裟、いわゆる勝負服です。その袈裟に合うように法衣店の社長さんが組紐の色を考えて作ってくれたのがこの「しゅたら」。ピンク・緑・紫・金を組み合わせて作られています。

ほら、見てください。可愛い。

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色づかいがとっても可愛い。

当時27歳で住職になった私に合うように作ってくれたんだろうなと思います。

 

 

 

サイズも、普通のものに比べたら一回り小さく作られています。

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上のものが普通サイズもの、下のものが私のです。

ほら、小ぶりで可愛い。

 

 

他のお寺さんも、檀家さんも、「その修多羅かわいいねー」なんて褒めてくれる人はいないけど、密かにメチャメチャ気に入っています。

 

 

 

そういえば、今年の夏用に「折五条(おりごじょう)=普段用の袈裟」を買いました。

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これも夏らしくて可愛い。お気に入りです。

尼僧が二人で「アマトーーク!」(ボツタイトル)

先日、尼僧仲間と話し合った寺報コラボ企画の第一弾記事が少し形になってきました。うちのお寺の寺報7月号に載せるものですが、こちらで先行公開しちゃいます。

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まず初回はプロフィールだよね!ってことで二人でプロフィールを作りました。

項目を二人でいっぱい出し合って、あとはお互い一人の時間に埋めていく。全部埋まったらせーのどん!で公開。つまり、お互いに相手の様子を探らずに答えました。

で、たくさん項目があった中から使えそうなものを選んで決定したのが上のプロフィールです。真面目と親しみやすさをいいバランスで配合できたかなー?なんて思っています。

 

 

さて、せっかくなのでこちらではボツ項目も並べていきます。

 

■好きなアーティスト

 妙尚:ゆず
 真依:ポルノグラフィティ

※カット理由※ いかがわしいものでは決してないんだけど、誤解を受けるおそれがあるので念のためカット

 

■趣味

 妙尚:アイドル(最近の一番はHKT48
 真依:書道・読経

※カット理由※ 二人の高低差がひどすぎた

 

■ボーリングの最高スコア

 妙尚:155
 真依:79

※カット理由※ そんなに面白くなかった

 

■最近怒られたこと

 妙尚:洗車中、夫に何度も水をかけた
 真依:父の指示に「はい」と答えなかったこと

※カット理由※ ガチのやつ

 

■好きな印

 妙尚:地結
 真依:焼香

※カット理由※ 二人の間では相当盛り上がったが、これは細かく話したらダメなやつ

 

 

 

 

コラボコーナーのタイトルは「尼僧よもやま話」になりました。

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第2回からは、尼僧ふたりの対談形式でいこうと思います。
お盆明けにでも テーマを決めて語り合ってきます。

 

 

 

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ふざけてこんなのも作っちゃいました。もちろんこちらはボツ素材。

 

みんなにいい人生だったと言ってもらえるのは日本人の数パーセントしかいない…のは本当かもしれない

癌患者を専門としている在宅緩和ケアのドクターがtwitterでこんなことを言っていました。

 

この言葉がなんだかずっと私の心に刺さっています。

 

今はみんな長生きだから、80歳を過ぎていても「まだ若いのに残念」って言われる。90歳でも言われる。95歳か100歳過ぎないと「十分長生きした」って言われないんだよ。まだまだ先は長いなあ。

ある老僧がこんなことを呟いていました。

 

確かに、病床の人が「いい人生だった、ありがとう」なんて言えば、「そんなこと言わないで」「もっと頑張って長生きしてもらわなくちゃ」などと言われてしまう。「まだ早すぎる」「もっと長生きしなきゃ」「まだまだ」「もっともっと」……

もちろんその気持ちもよくわかります。
でも一体それは何歳まで?? 
別れを迎えたくないのは、100歳でも120歳でも同じでは???

 

できればもっと一緒にいたかった。その気持ちは伝えつつも、「いい人生だったね。ありがとう。」と、旅立つ人も残る人もお互いに言えたらいいなと思う。

 

別れは避けては通れないもの。

長くても短くても一生。いい人生に長さは関係ない。
一生懸命に生き抜いた人生をちゃんと肯定してあげて、感謝は言葉にして伝えてあげてほしいと思います。

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「礼を尽くす」ってこのことかなって思えた、3人の身近な方々の話

昔から我が家のピアノを調律しに来てくれる調律師さん。
代金を支払うときには、お釣りを必ず綺麗な紙幣で返してくれます。

銀行へ行けば、手数料はかからずに新札を用意することができます。
でも、両替や持ち運びの手間を考えると、なかなかできることではないな、と。

 

お寺に1,2ヶ月に一度お参りに来る檀家さん。
車で2時間ほどかけて来るのですが、お寺に来るときはいつも車がピカピカです。

北海道の冬は、真っ白な雪に囲まれた地もありますが、都会などでは雪が溶けて路面はグチャグチャです。その中を走れば車は真っ黒に汚れてしまうはずなのに、冬でも汚い状態の車で来たことが一度もありません。

近くのガソリンスタンドで洗車をしてからお寺に来ているのでしょう。
帰りにはまた汚れてしまうのに。なかなかできることではないな、と。

 

今はもう亡くなってしまいましたが、古い檀家さんのおじいちゃん。
ご自宅の仏壇でお経を読んだあとのお布施は、必ず後日にお寺まで納めに来ていたそうです。5kmほど離れたご自宅からお寺に歩いてきては、必ず門の外で帽子を取り、首に巻いた手拭いを外してから境内に入り、本堂の前で深く一礼をしてからお寺に入ってきていたそうです。

いつもいつも、必ず。誰が見ているわけでないのに。
なかなかできることではないな、と。

 

これをやらなかったからって失礼と言われることはないし、誰に何を言われるわけではないだろうけど、でもしっかりと「礼を尽くす」。態度や行動の一辺から、相手を敬う気持ちが伝わってきます。

 

さて。
私にできる「礼を尽くす」ことって、なんだろう。
まずは、人との関わりのひとつひとつを丁寧に。

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調律を終えたときに調律師さんが弾いてくれる短い曲がいつも素晴らしくて、今日もうっとり。

念珠が切れてしまったり、念珠を失くしてしまった方へ

冬にあった法要のあと、檀家さんからお寺に電話が入りました。

「お念珠を落としてしまったようなんだけど、お寺にありませんか?」

 

どのような念珠だったのかを尋ねてみると、紫水晶のとても立派な念珠だったことがわかりました。「前の住職と一緒に買ったものなんです」とおっしゃっていて、とても大事にされていたことが伝わってきました。

 

お寺の中はだいたいの片づけと掃除が終わったあとだったので、忘れ物が置いてありそうなところは見回ってみました。一緒に片づけをしていた母にも聞いてみましたが、その念珠は見つかりませんでした。そのことを檀家さんに伝えると、「そうですか…何十年も大事にしていたんですけど…私がうっかりしていたから、仕方ないですね。」と、とても残念そうでした。

あとから母に聞いたところ、念珠を買ったときには前住職である私の父と、母も一緒にいたそうで、そのときの話を教えてくれました。その檀家さんは立派な紫水晶の念珠に一目ぼれをしてしまったそうですが、他の念珠と比べてかなり高価だったので悩んで悩んで悩んだ末、旦那さまや前住職やその場にいた皆に強く勧められて買ったのだそうです。母もそのときのことをよく覚えていて、「すごくいい念珠だったのにね」と、たいへん残念がっていました。

 

そして、最近、その念珠を買ったときの念珠屋さんとお話しする機会があったので、その話をしました。

「約30年前、こちらのお店で紫水晶のとてもいい念珠を買った檀家さんが、この間の法要のときにその念珠を失くしてしまったそうなんです。お寺も探してみたけど、見つからないんです。」

勿体ない…と私が言いかけたそのとき、その念珠屋さんは、

「それは、その方は大きな厄落としをしたんですね」

とすかさず答えました。

「それは厄落としです。30年間護ってくれて、また、大きな厄を落としてくれたんですよ。ありがたいことだと思っていいんじゃないでしょうか。」

私たちの掌の中で、私たちから一番近い場所で、私たちを護ってくれるお念珠。心の中で合点がいったというか、腑に落ちたというか、念珠屋さんの言葉が心に染みました。

 

この言葉を聞いて、私も、失くしてしまった一本の念珠のことを思い出しました。

高野山へ修行に行くとき、修行で使う念珠を父から借りて行ったのでした。百日の修行の間、ずっとその念珠を使い続けていたのですが、残り数日になったとき、その念珠の房の部分が千切れてしまいました。指導教官に相談したところ、使えなくはないけど正しい念珠の形ではないから別の念珠を使うよう言われ、切れた念珠は袂に入れて修行を続けました。そんなふうに使い続けた父の形見の念珠でしたが、修行を終えて寺に戻ってきたらどこにも見当たらなくなってしまったのです。修行を終えたときには間違いなくあったのに、荷物はすべて寺に送ったはずなのに、念珠を失くしてしまったのです。

せっかくの父の形見、修行をともにした思いのこもった念珠、それを失くしてしまったことにショックを受けていたのですが、今思えば、私の悩み・迷い・苦しみを高野山に置いてきてくれたのかな、なんて思いました。

 

念珠が切れてしまったり、失くしてしまったり。

ちょっと凹んでしまいますが…

それは、お念珠が護ってくれたってことなんですよ(^O^)/



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今日から

たいへんご無沙汰しておりました。

子供が三人になったら急に一日の時間が短くなりました。特にここ最近は末っ子の後追いやイタズラも激しくなってきたため事務仕事の時間もパソコンの時間も取れずにいました。仕事用机は整理されていない書類の山です。。。

しかし、今日から我が家の末っ子が保育園デビューすることになりました。保育園ありがたいです( ;∀;)( ;∀;)( ;∀;)

今日から心機一転お仕事がんばります。

 

さて、先日、お寺の一人娘仲間とランチに行ってきました。私より6つ年下の彼女は、私と同じく僧籍を持って今はお寺の副住職です。ランチをしながらお互いのお寺で発行している「寺報」でコラボ記事を作れないかという相談をしてきました。

これから、年に数回コラボ記事を一緒に作成することと、そのたびにどこか一緒にお出掛けしようという約束をしました。尼僧のふたりがハイキング、尼僧のふたりが野球観戦、尼僧のふたりが人間ドック・・・なんだか「尼僧が」っていうだけでちょっとミステリアスな印象を受けませんか?

そんな、ちょっとミステリアスだけど実際は何の変哲もない女子会をしながら、あれこれいろんな話をしていこうと思っています。どんな記事になるのか私も楽しみです。

 

 

お寺で塾をしています。こどもたちよ、虚しく往きて実ちて帰れよ。

うちのお寺では庫裏の一部屋を使って学習塾をしています。お寺で塾というと「寺子屋だね」と言われますが、寺子屋感はほとんどありません。夫婦ともに元塾講師だった経験を生かしての個別指導塾です。だってわたし、習字とか教えられないし…

 

教室の中はこんな感じ。
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そして、教室の入り口にはこんなものが飾ってあります。
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「虚往実帰」=虚しく往きて実ちて帰る。

お大師さま(空海)が中国での留学から帰ってきたときのことばです。行ったときは空っぽだったけど、いっぱい学んで帰ってきたよー!という感じの意味。

 

写真でもわかる通りこの部屋は昔は事務室だったので、ここにこれが飾られていたのは単なる偶然なのですが、なんとまあ塾にぴったりなことばでしょう。このことに気付いてからこのことばがすっかりお気に入りになりました。教室に来る生徒たちも、お大師さまのようにいっぱい勉強していろんなことを身につけて教室を出て行ってほしいなーと思うのです。

 

今日も受験直前の高校三年生が自習しています。

がんばれ受験生。

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