4代目住職、尼僧です!

38歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

私が人付き合いで心がけている3つのこと

仏教の教えはまったく関係ありません。
私が人付き合いで心掛けている3つのことです。

 

【1】お願いされたことは「快く」受ける

これは見習いたいと思う人がいます。
その人はとても忙しい人なはずなのですが、その人にお願いをすると、

 「いいよいいよ、任せておいて!」

といつも言ってくれます。
忙しいはずなのでこちらが恐縮していると、

 「大丈夫、暇だから!」
 「大丈夫、なんとかするから!」

と言って安心させてくれます。
(もしかしてこの人、ほんとに暇なんじゃ…?)
と誤解してしまいそうになるほど、いつもいつも快く私のお願いを聞いてくれます。間違いなくその人は忙しい人なのですが。お願いするこちら側の申し訳ない気持ちを察してくれて気を遣わないようにしてくれる、そんな心遣いがとても嬉しく、私も他の人にはそうしようと心に決めています。

 

【2】ものをもらったときは可愛く「ありがとう♪」

たとえば、コーヒーやジュースなどをご馳走してもらったとき、ちょっとしたプレゼントをいただいたとき、あまり遠慮しすぎず「わーい!ありがとうございます!」といただくようにしています。慎ましく遠慮することが日本人の美徳でもあるので、もしかしたら「なんて行儀の悪い…」と見られているのかもしれません。でももし私が逆の立場でなにかをご馳走してあげたいなって思ったときに遠慮されちゃったらちょっと悲しいから、プレゼントしてくれる人の気持ちもありがたくいただくようにしています。

 

【3】遅刻はしない

当たり前のことですが、私はルーズな人間なので気をつけていないとついやってしまうのです…。 遅刻しそうになったとき、「3分遅れます」って先に連絡しちゃおうかなって頭をよぎったとき、思い出すのはある人が言っていたこと。

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必ずしもそんなことはないと思うのですが、待ち合わせに遅れそうになったときにはこの言葉を思い出し、(暇人の私が待たせちゃいけない…!)とダッシュします。タイムイズマネー。そして人と関わる時間は私にとって一番大切な宝物です。人とのお付き合いはたいせつに。

 

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ゴールデンウイークから学んだお釈迦さまの教え

10年前、私は札幌の学習塾で働いていました。週に1~2日は教室へ行き小学生と中学生のクラスで授業をして、残りの日は本社でテキストやテストの制作をして…というような仕事でした。学習塾ではお盆やお正月は冬期講習・夏期講習の真っ只中なので他の会社のように連休がとれず、一年で唯一のまとまった連休はゴールデンウイークだけでした。なので有給休暇などを利用して9連休10連休という大型連休をもらえるのが一年で一番の楽しみでした。

当時20歳代前半だった私は、唯一の大型連休が楽しみで楽しみで、10日間すべての日に遊びの予定を詰め込むほど張りきっていました。ずっと心待ちにしていたゴールデンウイークが始まり、そしてその前半が終わる頃、「もう半分が過ぎてしまった…ゴールデンウイークが終わっちゃうよ…」としょんぼりしていました。まだ5月2日とかなので連休に入っていない人もいるというのに。

そして遊びに遊んで本当にゴールデンウイークが終わってしまったとき、

「一年の唯一の楽しみであるゴールデンウイークが終わってしまった…私は何を楽しみに生きていけばいいんだろう…」

と、私はまさしく燃え尽きた灰のようになっていました。

 

・・・・・・

 

あれから10年。私は祝日も連休も関係ない仕事に就いています。今の私にとってゴールデンウイークとはただの "普通の日" です。楽しみでもなければ、終わったときの虚無感もありません。

あるとき、
「人間は執着や欲があるから苦しむ、よって執着や欲を断ち切ればよい」
というお釈迦さまの教えを思い出しました。

「ゴールデンウイークが楽しみで仕方なかったあの頃は、ゴールデンウイークが終わるときとても苦しかった。でも、ゴールデンウイークになにも期待していない今はその苦しみをまったく感じない…!お釈迦さま!これなんですね!人間は執着や欲があるから苦しむとは、このことなんですね…!

 

お釈迦さまに申し訳ないくだらないことで仏教の教えを実感した私だったのでした。

 

 

ゴールデンウイークも終わってしまいましたね。今年は産後間もなかったので、家から一歩も出ずに連休のすべてが終わりました。北海道十三仏霊場の巡拝の方がちらほらと見えて「私もどこかに出掛けたいなぁ…」と羨ましく思いました。

お坊さんも足がしびれることあるんですねーって…当たり前でしょうが!!!!!

僧侶は足がしびれない生き物だと思ってくれている方がたまにいらっしゃるようですが…

そんな訳ないです。お坊さんだって長時間正座していたら足はしびれます。血が通っている人間ですから。お坊さんだって人間なんですから。

でも、「足がビリビリ痺れて動けない~」となることはほとんどありません。そうならないためのコツを習得している、ただそれだけです。

 

ちなみに私は30分以内の正座なら大丈夫、30分を超えたあたりから足の感覚が無くなりはじめ、1時間を超えると足は無感覚状態(触ってもわからない、動かすこともできない状態)になります。足の感覚が無くなった状態から一気に正座をやめて足の血流を元に戻すと、あのイヤ~なビリビリ状態に陥ります。

私が僧侶修行時代に習得した、足をビリビリさせずに血流を回復させるポイントはこれです。

「つま先を立てて足の指を反らせる」f:id:shingon_in:20160510113227j:plain

ビリビリが来る前にこの体勢にします。足がすでに無感覚で自力で動かすことができなければ、手を使って足の指を反らせてから少しずつこの体勢に持っていきます。
そしてこの状態で足の感覚が元に戻り足が動かせるようになるまでキープします。
するとあら不思議。ビリビリならずに足に血がスーッと通っていく感じがします。

法要などでは1時間ほど正座したままのときがあります。そんなときは私の足はだいたい痺れて無感覚状態になっています。法要の終わりが近づいてきた頃から上記のように立つ準備をし、退堂のときにはスッと立てるようにしています。いきなり「立て!」は無理です。怪我します。ほんとに。

 

高校生のときですが、どれだけ正座で我慢できるか試していたときに、無感覚状態から立ち上がり足がうまく動かせずにこの状態で体重をかけてしまいました。

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「バキッッ」という音が鳴り(もうだめだ…折れた…)と思いましたが、運よく足の甲の捻挫で済みました。それでも1週間ぐらい足を引きずって歩く羽目になりました。

足の痺れが取れない状態で動くのはたいへん危険です。やめましょう。

三児の母になりました

予定日よりも約2週間早く、4月22日に3人目が生まれました。
上の2人も予定日より1週間くらい早く生まれているので予定日前だろうなとは思っていたのですが、私の頭の中で計画していたよりも少し早かったです。

陣痛がきたのは同居している母が四国八十八か所の旅行に行っている最中で、あと2日で帰ってくるというところ。帰ってくるまでは大丈夫だと思っていたのですが、ちょっとだけ間に合いませんでした(^~^;)

「今、陣痛が来て入院したよ。今日中には生まれると思う。」

と、四国の母に電話したところ、その日、四国のお寺で安産祈願をしてくれたそうで、そのおかげか助産師さんを焦らせるほどのスピード出産で産むことができました。

 

というわけでめでたく4歳長女、2歳長男、0歳次男の三児の母になりました。
これからもゆるりゆるりとママさん住職がんばります~♪

香盛り

今日は「香盛り(こうもり)」という作業をしておりました。ブログに書くなら作業途中の様子も写真におさめておけばよかった(>_<)

 

こちらは「常香盤(じょうこうばん)」
長い時間お香をたくためのものです。

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灰をならし、溝を作ってその溝に「抹香(まっこう)」という粉状のお香を入れます。

 

こちらは、導師用の「香炉(こうろ)(下)」と「柄香呂(えごうろ)(上)」

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こちらも作り方は同じです。

 

これがかなりの集中力を要する作業なんです。まさに精神修行。

妊婦とお葬式

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「妊婦は火葬場に行ってはいけない」

「妊娠中に葬式に出るとアザのある子が産まれる」

など、昔は妊娠中のお葬式にまつわる迷信があったようです。僧侶である私も二度の妊娠出産をしましたが、妊娠中は「妊婦さんなのにお葬式は大丈夫なの?」「お腹に鏡を入れておくといいのよ」などと心配してもらったこともありました。
妊娠中にも何度か葬儀が入り、導師を勤めましたが、お腹に鏡は一度も入れていかなかったし、怖いとも思いませんでした。
なぜならそもそもこれらの考え方は、死を穢れとする昔の日本にあった死生観からきたもので、仏教的ではありません。仏教では、死は仏様に近づく一歩であり、忌み嫌うべきものではないはずです。
それに、顔を知っている檀家さんの方が、亡くなったからといって私のお腹にいる赤ちゃんに悪さをするなんて考えられませんでした。むしろ、ひとつの命を終えた人がお腹の中の赤ちゃんに生きるパワーを分けてくれたような、そんな気さえしました。一人目の妊娠のとき一番最初に送った方が106歳のおばあちゃんだったからかもしれません。

 

おかげさまでうちの子供たちは二人とも元気に育っています(^^)/

 

なので、もしも 「妊婦なのにお葬式に言っても大丈夫かな…」と気にしている人がいたら、こう声を掛けてあげたいです。

「大丈夫だから、大事な人、送りたい人はちゃんと見送ってあげてください!」
「でも、決して無理はしないように!」

お葬式に参列するのは身体的・精神的に負担が掛かります。だから妊婦の体調を心配して「お葬式はNG」と言う人がいるんだと思います。

だから、自分のためにも亡くなった大事な人のためにも、決して無理はしないように!

 

 

そして…

実は私、現在3人目がお腹の中にいます。
妊娠9ヶ月目に入り、ゴールデンウイーク頃出産予定です。
とりあえず無事に出産できるようにがんばります。

 

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サバ断ちって知っていますか?

断ち物(たちもの)とは、神仏に願掛けをした時に、自分の好きな食品や嗜好品もしくは薬などを絶って、禁欲により願掛けを強力にできるという民間信仰。断ち物とするものは酒、煙草、茶、薬品などさまざまで、最初は身を清める目的に近い信仰対象の嫌うものを絶つ、女絶ち、肉絶ちなどが主流だったが、のちに自分の好物が多くなる。 もっとも有名な例では、上杉謙信の女絶ちと春日局の薬絶ちがある。(wikipediaより)

タイトルの「鯖(サバ)断ち」とはその名のごとく魚のサバを断つことで、徳島県にある鯖大師本坊というお寺で行われている祈願の方法です。
鯖断ち祈願、奉納絵馬のお申し込み|四国別格霊場 第四番札所 鯖大師本坊


実は、我が家でも長い間サバ断ちが行われていて、私は生まれてから20年近くサバという魚を知らずに育ちました。何の願を掛けたサバ断ちだったかというと、それは私が生まれる前の話に遡ります。


結婚後もしばらく子が授からなかった我が家。家族がこの鯖大師本坊にお参りをした際、このサバ断ちを知り、子宝成就の願掛けをしました。サバ断ちのおかげかその数年後には無事に子供を授かることができ、サバ断ち期限の3年を迎えましたが、「もしもこの後なにかあったら」の思いもあり、そのあとも食卓にサバが出ることはありませんでした。授かった娘が成長し、二十歳を迎えるときまで…。


私がサバという魚が美味しいと知ったのは大学生のとき。アルバイトをしていたファミリーレストランのまかないで初めて「鯖の味噌煮」を食べました。その美味しさに感動した私は、その後実家に帰省した際、母に「サバって魚が美味しい!」と報告しました。そしてそのときに初めて我が家のサバ断ちの話を聞いたのでした。

願を掛けられていた張本人が、この魚に願を掛けられていたなんて知らず「美味しい!美味しい!!」と食べていたわけです。

 

昼食にいただいたお弁当に鯖の塩焼きが入っていたのでこの話を思い出しました。サバって美味しいですよね。今では大好きです。

みなさんも、なにか叶えたいお願い事がありましたら、サバ断ちなんていかがでしょうか。我が家はずっと断っていましたが、本来のサバ断ちは3年間だそうです。