4代目住職、尼僧です!

38歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

「お寺にもサンタさんはやってくるの?」に対する私の答え

12月になると子供達に向けられるこの質問。

「〇〇ちゃん、サンタさんには何をお願いするの??」

 

でも、お寺である我が家の場合、

「あっ…〇〇ちゃんの家はお寺だから…サンタさんは来ないの…かな?」

と、質問をしてくれた相手に気まずい思いをさせてしまうこともあります。クリスマスはキリスト教の神イエスキリストの誕生日、そして子供達にプレゼントを配ってくれるサンタクロースとはキリスト教の聖職者。だからお寺ではクリスマスなんてやってはいけないし、プレゼントももらえないんじゃないか、もしかしたら「うちはお寺ですから!」なんて怒らせてしまうのでは?などと気を遣わせてしまうようです。せっかく楽しい話題を振ってくれたのになんだか申し訳ない…。

 

 

Q.お寺なのにクリスマスをしてもいいの?

お寺によって、というか、その家庭によって様々な考え方があると思いますが、仏教寺院である我が家でも、普通の家庭と同じようなクリスマスをしていると思います。

 

去年はマスキングテープでクリスマスツリーを作りました。
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当時2歳と4歳だった子供達に自由に折り紙等を貼られてコンセプトがわからないものになってしまったのはご愛敬。

 

ケーキも買ってお祝いしました。

 

誕生日だもん。めでたいじゃない。
祝ってあげてもいいじゃない。
ちゃんとお釈迦さまの誕生日も祝ってるし!!!

 

 

 

 

Q.お寺にもサンタクロースは来るの?

キリスト教の聖職者であるサンタクロースは仏教寺院である我が家にもちゃんとやってきます。 

まず、サンタクロースについて、一番好きなのはこのお話。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

今の時代、サンタクロースがすべての子供のもとを回ってプレゼントを届けるのは無理な話。煙突はないし玄関に鍵はかかっているし。だからいろんな人がサンタさんのお手伝いをしながら、みんなのもとにプレゼントが届くんだよ。というわけ。

そして最後には、みんなもいつかこうしたサンタさんのお手伝いをすることがあるかもしれないから、そんなときには子供たちの笑顔のためによろしくね、と締めくくられています。素敵なお話ーー!!!

 

そして、私が思うには、聖職者ともあろうお方が「この家はキリスト教徒だからプレゼントをあげる」「この家は仏教徒だからプレゼントはあげない」などと宗教差別をするはずがない。なので、うちにもちゃんとサンタクロースはやってきて子供達にプレゼントをくれます。ただしうちに来るサンタクロースはリクエスト方式をとっていないようですけどね。

 

 

 

ということで、私は。

 

宗教は違うけど、聖職者の一人として、

サンタクロースの考え方に賛同し、

協力します!

 

 

 

というわけで、我が家はお寺ですがこんな感じでクリスマスもするし、サンタさんも来てくれます。一応言っときますが、お釈迦さまの誕生日は「花まつり」という法要を行い盛大に祝っていますよ。

 


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アメトーーク!消してしまった…小藪千豊さんが花まつりについて語っていたのが面白かったのに。

9月8日放送の「今これを伝えたい!ピンポイントアカデミー大賞」で芸人の小藪千豊さんがお釈迦さまの誕生日「花まつり」について熱く語ってくれました。小藪さんありがとう!

 

12月25日はクリスマス、2月14日はバレンタインデー、10月31日はハロウィン、じゃあ4月8日は!?

で、会場シーーーンとなったところから始まった小藪さんのプレゼン。4月8日のお釈迦さまの誕生日をみんなでもっと盛り上げよう!という内容でした。

 

4月8日はクラブでパーティーをしよう!
右手で天を、左手で地を指さすダンスを踊ろう!

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など、おもしろおかしくお釈迦さまの誕生日「花まつり」をPRしてくれました。

バカにしている!と怒るお寺さんもいそうですが、こうしてテレビで若い人に向けて伝えてくれるのはいいことじゃないかなと私は思います。まず、知ってもらわなきゃはじまらない。面白いからDVDにでも焼いて今度の花まつりのときにお寺のテレビで流しておこうかと思っていたくらいです。だから消してしまって後悔…。

 

小藪さんは仏教好きという認識がありますが、たしか「ぶっちゃけ寺」だったかな、最澄空海の例えが秀逸だと思いました。この二人はどちらも平安時代に唐で密教を学んだ僧なのですが、考え方の違いで仲違いをしてしまいます。

それを、「うちは十割蕎麦しか出さん」とした真言宗空海と、「うちはうどんもラーメンも手広くやるよ」とした天台宗最澄と表現しました。実にわかりやすく面白い表現だなあと思いました。

小藪さんは仏教のことをいつも馴染みやすくお話ししてくれるので、「今度この表現を拝借しよう…」と思いながら見ています^^

 

しかし。。。

アメトーークが残念。。。

 

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私のハマリもの。第一弾「懐紙」

懐紙にハマっています。

わたくし、お茶の心得は全く無いので、おそらく邪道と言われるような使い方しかしていませんので謝っておきます。ごめんなさい。

 

持っているのは色柄入りのものばかり。かわいいと思ったら買います。

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メモを残すときとか。

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お金をちょっと渡すとき包んで渡したり、

受け取ったときに包んで鞄に入れたり。

そのままよりも趣があります。

 

かんたんポチ袋の折り方も覚えました。

tsujitoku.kyo2.jp

 

 

 

鞄の中に懐紙を入れておいたら、なにかと役立ちますよ。

いろんなことに使える「懐紙」のご紹介でした~

 

もしかして名物になるかも!?坐像六地蔵建立中!!

お寺の裏の墓地に六地蔵を建てています。

当初は立っているお姿で設計してもらったのですが、「座っていたほうがこじんまりと可愛いんじゃないか」そんな理由で坐像の六地蔵を建立することになりました。

こうして作ってもらった設計書がこちら。
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現在、工事を進めてもらっているところです。

 

石材屋さんから「座っている六地蔵は珍しいですよ。僕は見たことがありません。」と言われていたのですが、「へぇ~そうなんですか~」とそんなに深く考えてはいませんでした。北海道の一部地域であるこのあたりでは見ないということだと思っていました。が、ある日、六地蔵の画像が欲しいなと思って検索をしてみたところ、確かに坐像はあまり出てこない。ほとんどが立っているものでした。

 

そして、坐像六地蔵が珍しいと記されているブログに遭遇。

blog.goo.ne.jp

多聞寺境内には、六地蔵坐像が安置されています。立像と違って「坐像」は都内でも四例に 過ぎない貴重なものといわれます。

 

東京都内でたった4例!!??

 

 

 もうひとつブログを発見。

blog.goo.ne.jp

「多聞寺(墨田区墨田)では、墓地内に南面して丸彫り、座姿の六態地蔵を安置する。けだし、座姿六体が揃っての石彫地蔵の例は希少である。石彫りの地蔵は数において立姿がその大半を占め、ついで座姿のものは大概独尊であるが、都内での座姿六地蔵は当寺の他に、練馬区三宝寺、千代田区の心法寺、荒川区の南泉寺など数か寺にある。このほか埼玉県児玉郡に4か寺、北葛飾郡松伏に一組ある」。

要するに、座像六観音は極めて珍しいというのです。

1975年の時点で東京都内には4か寺ほど、埼玉県に5か寺ほどの珍しいものだと、地蔵尊の調査に没頭すること40年、3800基余りのお地蔵さんを調べつくした故三吉朋十さんはその著書『武蔵野の地蔵尊』の中で書かれていたそうです。 

そして、こちらのブログでは東京都以外の地域(群馬県、長野県、富山県)で見つけた坐像六地蔵の写真も掲載されていました。

 

おおおおお・・・
本当に珍しいのかもしれない・・・

 

ドキドキワクワクしながらさらに調べてみたところ、あと4か寺で坐像六地蔵を見つけました。

善光寺(長野県)

・恐山(青森県

常楽寺(長野県上田市

・茶湯寺(神奈川県伊勢原市

 

あと、こちらは情報をいただいたもの。

・御誕生寺(福井県越前市
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これも六地蔵の坐像に違いない…かわいい…

 

というわけで、今のところ見つけられたのが全国で16か所です。確かに坐像の六地蔵は珍しいものでした。今ある情報は関東近郊がほとんどなので、探せばきっとまだあるはずです。今度大きな図書館に行って文献等を調べてこようと思います♪

なにかわかったらまたブログ書きます(^^)/

 

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がんばれ麻央ちゃん

小林麻央さんのブログをほぼ毎日見ています。

彼女は私と同じ歳で、第一子に女の子、第二子に男の子を、私とほとんど変わらない時期に出産しています。そんな彼女が乳がんを患ったというニュースは私にとってショックなニュースでした。妊娠中や出産後には私のもとにも何度か乳がん検診のお知らせは来ていましたが、妊娠中であることや授乳中であることを伝えると「では次の機会に受けてください」と一度も検診を受けず今まできました。だから、乳児の子育て中の私たちには関係ない話だと思っていました。

 

だけど、、、なるんだ。。。私の歳でも。。。子育て中でも。。。

 

ブログを見ていると、うちの子たちと変わらない、小さくて可愛い子供たちがたびたび登場します。入院中など子供達と一緒にいられない寂しさ、体調の悪いときなど子供達の前で100%の笑顔のお母さんでいられない悔しさ、いろんな人に対する申し訳なさ…。病気の辛さ以外にも辛いことがたくさんあるだろうなと想像したりします。

 

それでも、毎日明るいブログを更新してくれています。彼女の強さには感心します。

健康なことはありがたいこと。

忘れちゃいけないなと思います。

 

ameblo.jp

おからだたいせつに

たいへんご無沙汰をしています。

寺報を作り終えたらブログを更新しよう…と思いつつ、当初は18日に入稿したいと思っていた寺報もまだ出来上がっていません。子供が3人になると2人のときとはやはり違って子供のお世話の時間が増えました。「今日はお参りがないから今日こそ寺報を!」と意気込んで上二人を保育園に送り出しても、赤子の世話をしながら洗濯をしたり部屋を片付けていたら、あっという間にお迎えの時間。上二人が帰ってきたらそこからは嵐のごとく、ご飯を食べさせお風呂に入れて就寝準備をして寝かしつけたらあら不思議。もう次の日の朝です。

そんなこんなで毎日過ごしています。

 

さて、ある檀家さんのお話。その方は70歳くらいの女性で、今年のお盆にお参りしたとき「夏バテして、今年の夏はとにかくしんどくて。」とお話しされていました。その後、相次ぐ不調に「これはおかしい」と思って病院に行ったそうなのですが、心臓に病気が見つかり、血液の流れも滞っていて、「あと10日も放っておいたら、血管が切れていたよ」とお医者さまに言われたそうです。

今は投薬で体の調子も少し良くなりましたが、これから心臓の手術を控えているそうです。

「今年のお盆はご先祖のお参りにも行けず、バチが当たったんだわ」とお話しされていましたが、ここで心臓の病気が見つかり治療をすることができたのは、バチなんかじゃなくてご先祖に守られていたんだろうなぁと感じました。急に倒れてそのまま戻ってこれなくなる人も少なくないですから。

お寺のお手伝いも積極的に参加してくれたり、お寺の旅行にも一緒に行ったり、とても気さくで大好きな方なので、お体を大事にして早く元通り元気になってほしいものです。

 

みなさまも、おからだたいせつに。

 今日も真狩村羊蹄山にすっぽりと包まれ、雄大な自然の力に守られているようです。

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さて、寺報がんばるぞ。

納骨堂のお供え物がなくなる

少し悲しいなあと思っていることがあります。
お寺の納骨堂にお供えされているお菓子や果物がたまになくなるんです。今朝もまた、お彼岸のお供え物を下げに来た檀家さんが「お供えしていたお菓子がなくなっていたよ、誰かが持っていっちゃったのかな。ハハ。」と言って帰っていかれました。

お供え物は基本的にそれぞれお持ち帰りいただくことになっているので、お盆やお彼岸などお参りに来た方がお供えしていったものはそのお宅の方が下げていきます。お参りしてそのまま下げていく方もいれば、近くの方などは数日後にもう一度来て片づけていってくれます。*1 今朝のように、お供え物を下げに来た檀家さんから、お供えしていたものが無くなっていた話をたまに聞きます。

「お参りに来た子供が美味しそうなお菓子を見つけて思わず持って帰っちゃったのかな??」

そう思っていましたが、なくなったと聞いたものが【プレミアムモルツ500mL缶】というときがありました。これは大人の仕業ですよね…?

スーパーで売られている果物の盛り合わせだとなくならないのにメロンや梨だとなくなる。かりんとうだとなくならないのにパイの実だとなくなる。ワンカップのお酒だとなくならないのにプレミアムモルツだとなくなる。同じものでも「寺族」のところだとなくならないのに「〇〇家」のところだとなくなる。

 

どうやら誰かが好きなものを選んで持って帰っているようなのです。

 

そこで、去年のお盆からこのような納骨堂内にこのような掲示をしました。

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納骨堂のお供え物は

みなさんがそれぞれ

大切な人のことを想って

お供えされたものです

 

「美味しそうなお菓子があった、ラッキー♪ 」ではなくて、お供えした人の気持ちを踏みにじる行為だと思うのです。お供えした人の気持ちを考えてみて欲しいのです。

 

・・・・・・・・・

 

お盆やお彼岸のたびにいくつかのお供え物がどこかの誰かによって持って帰られてしまうので、今回のお彼岸もまた、お供えしたお宅の気持ちを考えて悲しいような悔しいような気持ちになっていました。

ですが、このような愚痴をこぼしていたら、こんなお話が聞けました。

 

【昔のお墓のお供え物は歩いて暮らす人たちが持って行く為に放置してあったらしい】

 

【人や動物に“お布施”した方が回り回って供養になる】

 

布施とは仏教のたいせつな修行のひとつで、自分の持っているものを他の人に施すこと。ただしそのときに「〇〇してやった」という気持ちがあってはならず、「喜捨(きしゃ:見返りを求めず、喜んで差し出すこと)」でなければならない。

 

( ゚д゚)ハッ!

 

お供え物は「自分のもの」では無いのかもしれない。

お供え物を布施と考えたら、欲張ったりこだわったりしてはいけないのかもしれない。

 

初めてこのような考えが浮かびました。

今度、お供え物がなくなってしまったという檀家さんがいれば、「どこかの誰かに施すことができた、これも立派な布施ですね」とお声掛けしようと思います。

 

といえども…

食べることに困っている方がやむを得ず持っていっているのなら仕方ないですが、うちの納骨堂でのケースは好きなものだけを持っていっているように見受けられるので、どなたか知りませんがよそのお宅のお供え物を勝手に持って帰ることはやめてもらいたいものです。みんな、気持ちのこもったお供え物なんですから。

 

 

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*1:遠方の方などは「次に来るのはしばらく後だから、お寺さん、あとで下げて食べてくれるかい?」と置いていかれる方もいるので、お供えされてからしばらく経ったものはお寺で片づけたりすることもあります。