4代目住職、尼僧です!

38歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

念珠が切れてしまったり、念珠を失くしてしまった方へ

冬にあった法要のあと、檀家さんからお寺に電話が入りました。

「お念珠を落としてしまったようなんだけど、お寺にありませんか?」

 

どのような念珠だったのかを尋ねてみると、紫水晶のとても立派な念珠だったことがわかりました。「前の住職と一緒に買ったものなんです」とおっしゃっていて、とても大事にされていたことが伝わってきました。

 

お寺の中はだいたいの片づけと掃除が終わったあとだったので、忘れ物が置いてありそうなところは見回ってみました。一緒に片づけをしていた母にも聞いてみましたが、その念珠は見つかりませんでした。そのことを檀家さんに伝えると、「そうですか…何十年も大事にしていたんですけど…私がうっかりしていたから、仕方ないですね。」と、とても残念そうでした。

あとから母に聞いたところ、念珠を買ったときには前住職である私の父と、母も一緒にいたそうで、そのときの話を教えてくれました。その檀家さんは立派な紫水晶の念珠に一目ぼれをしてしまったそうですが、他の念珠と比べてかなり高価だったので悩んで悩んで悩んだ末、旦那さまや前住職やその場にいた皆に強く勧められて買ったのだそうです。母もそのときのことをよく覚えていて、「すごくいい念珠だったのにね」と、たいへん残念がっていました。

 

そして、最近、その念珠を買ったときの念珠屋さんとお話しする機会があったので、その話をしました。

「約30年前、こちらのお店で紫水晶のとてもいい念珠を買った檀家さんが、この間の法要のときにその念珠を失くしてしまったそうなんです。お寺も探してみたけど、見つからないんです。」

勿体ない…と私が言いかけたそのとき、その念珠屋さんは、

「それは、その方は大きな厄落としをしたんですね」

とすかさず答えました。

「それは厄落としです。30年間護ってくれて、また、大きな厄を落としてくれたんですよ。ありがたいことだと思っていいんじゃないでしょうか。」

私たちの掌の中で、私たちから一番近い場所で、私たちを護ってくれるお念珠。心の中で合点がいったというか、腑に落ちたというか、念珠屋さんの言葉が心に染みました。

 

この言葉を聞いて、私も、失くしてしまった一本の念珠のことを思い出しました。

高野山へ修行に行くとき、修行で使う念珠を父から借りて行ったのでした。百日の修行の間、ずっとその念珠を使い続けていたのですが、残り数日になったとき、その念珠の房の部分が千切れてしまいました。指導教官に相談したところ、使えなくはないけど正しい念珠の形ではないから別の念珠を使うよう言われ、切れた念珠は袂に入れて修行を続けました。そんなふうに使い続けた父の形見の念珠でしたが、修行を終えて寺に戻ってきたらどこにも見当たらなくなってしまったのです。修行を終えたときには間違いなくあったのに、荷物はすべて寺に送ったはずなのに、念珠を失くしてしまったのです。

せっかくの父の形見、修行をともにした思いのこもった念珠、それを失くしてしまったことにショックを受けていたのですが、今思えば、私の悩み・迷い・苦しみを高野山に置いてきてくれたのかな、なんて思いました。

 

念珠が切れてしまったり、失くしてしまったり。

ちょっと凹んでしまいますが…

それは、お念珠が護ってくれたってことなんですよ(^O^)/



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今日から

たいへんご無沙汰しておりました。

子供が三人になったら急に一日の時間が短くなりました。特にここ最近は末っ子の後追いやイタズラも激しくなってきたため事務仕事の時間もパソコンの時間も取れずにいました。仕事用机は整理されていない書類の山です。。。

しかし、今日から我が家の末っ子が保育園デビューすることになりました。保育園ありがたいです( ;∀;)( ;∀;)( ;∀;)

今日から心機一転お仕事がんばります。

 

さて、先日、お寺の一人娘仲間とランチに行ってきました。私より6つ年下の彼女は、私と同じく僧籍を持って今はお寺の副住職です。ランチをしながらお互いのお寺で発行している「寺報」でコラボ記事を作れないかという相談をしてきました。

これから、年に数回コラボ記事を一緒に作成することと、そのたびにどこか一緒にお出掛けしようという約束をしました。尼僧のふたりがハイキング、尼僧のふたりが野球観戦、尼僧のふたりが人間ドック・・・なんだか「尼僧が」っていうだけでちょっとミステリアスな印象を受けませんか?

そんな、ちょっとミステリアスだけど実際は何の変哲もない女子会をしながら、あれこれいろんな話をしていこうと思っています。どんな記事になるのか私も楽しみです。

 

 

お寺で塾をしています。こどもたちよ、虚しく往きて実ちて帰れよ。

うちのお寺では庫裏の一部屋を使って学習塾をしています。お寺で塾というと「寺子屋だね」と言われますが、寺子屋感はほとんどありません。夫婦ともに元塾講師だった経験を生かしての個別指導塾です。だってわたし、習字とか教えられないし…

 

教室の中はこんな感じ。
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そして、教室の入り口にはこんなものが飾ってあります。
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「虚往実帰」=虚しく往きて実ちて帰る。

お大師さま(空海)が中国での留学から帰ってきたときのことばです。行ったときは空っぽだったけど、いっぱい学んで帰ってきたよー!という感じの意味。

 

写真でもわかる通りこの部屋は昔は事務室だったので、ここにこれが飾られていたのは単なる偶然なのですが、なんとまあ塾にぴったりなことばでしょう。このことに気付いてからこのことばがすっかりお気に入りになりました。教室に来る生徒たちも、お大師さまのようにいっぱい勉強していろんなことを身につけて教室を出て行ってほしいなーと思うのです。

 

今日も受験直前の高校三年生が自習しています。

がんばれ受験生。

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アンパンマンは君さ♪から考える一切衆生悉有仏性

一切衆生悉有仏性-いっさいしゅじょうしつうぶっしょう-
⇒生きとし生けるものはすべて生まれながらにして仏となりうる素質をもつということ

 

これはお大師さま、空海のことばです。 お大師さまは「わたしも仏、あなたも仏、動物も、草木も、この世にあるものみーんな仏。」と言っています。 でも、「あなたも仏」と言われても、「いやいや、私、善人なんかじゃないし、ずるいこと考えてるし、悪いこといっぱいしちゃうし、わたしが仏なんてとんでもない!!」と思う人がほとんどではないかと思います。でも、お大師さまはそれでもみんなが仏と言っています。

お大師さまいわく、わたしたちの中には、みーんな仏の種が入っているのだそうです。でもそれに気づいていないだけ。だから、気づいて!みんな仏なんだから!というようなことをお大師さまは言っています。

それが、
「一切衆生悉有仏性-いっさいしゅじょうしつうぶっしょう- 」
です。

 

アンパンマンたいそう」という曲があります。そのサビのメロディー「アンパンマンは君さ♪」を聞くたびに私は【一切衆生悉有仏性】を思い出します。

アンパンマンは君さ♪」って、つまり、みんなの心の中にアンパンマン=正義の味方がいるってことかなと解釈しています。泣き虫の子も意地悪しちゃう子も、みんな心の中にはアンパンマンの種=正義のヒーローの種が入っています。それに気づいていないだけ。

 

みんなアンパンマンになれる。

 

みんな仏になれる。

 

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人目を気にして歩く僧侶の私、CAさんと同じかな

僧侶の姿をしていると、周りの人に見られているなと気になります。おそらく私の気にしすぎではなく、実際に多少は注目をされていると思います。見知らぬ方がドアを開けてくれたり、順番を譲ってくれたり、たまに「あ、坊さんwww葬式??www」みたいな声が聞こえてくるときもあります。

お参りの合間など一人でご飯を食べることがたまにあるのですが、人の目が気になるのでお店に入って食べる勇気がありません。せいぜいコンビニエンスストアでおにぎりやパンを買って食べたりする程度です。そのコンビニでも、

「おにぎり…鮭は大丈夫だろうか。」

「さすがに豚カルビはまずいよな…。」

「卵サンドは大丈夫かな…。」

「カツサンドはダメだ…ハムは…?『坊さんハム買ってたよwww』とかならないかな…」

など私の自意識過剰が発揮されてしまいます。

以前、コンビニで他のお坊さんに遭遇したことがありました。私はそのとき私服だったのですが、やっぱりお坊さんが何を買うのか、気になって見てしまいますね。

 

たまに空港で見かける、スーツケースを引いて歩いているCAさんたち。

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あれも気になって見てしまいますね。「私もあのCAさんたちとと同じかな」なんて思ったりしています。調子に乗りましたすいません。

 

普段の私はあまり行儀の良いほうではないのですが、僧侶の衣を着ているときには気を付けるようにしています。姿勢は正しく、言葉遣いも丁寧に。横断歩道の信号が点滅しても、走って渡ったりせずに、ちゃんと待ちます。閉じかけた扉を足で押さえたり、足で扉を閉めたりなんかしません。(逆に言えば、普段の私はついやっちゃうということです…)

普段の私は言葉遣いもあまり綺麗ではなく、毒を吐くこともままあるのですが、僧侶の姿で毒を吐いて空気が凍った経験が何度もあります。普通の30代女性なら許される発言も、僧侶だと許されないなんてことがたくさんあるんだなぁと感じています。とにかく、自分の頭の中にある「僧侶像」のようなものを自分で壊さないよう、気を付けて行動するようにしています。

 

ところで、密教には「三密行」という修行があります。 これは仏の「身(しん)」・「口(く)」・「意(い)」、つまり、体と言葉と心を、仏さまと同じようにするように真似る修行です。有名なものでいえば「合掌」など、仏と同じ印を結び、仏のことばと同じご真言を唱え、そして仏のような清浄な心をまねぶ。それこそが修行なのです。私の「僧侶らしく振る舞う」というのも三密行に似ているような気がしています。

しかし、ここで思うのは、私は僧侶の衣を着ていても着ていなくても、僧侶です。衣を着ているときだけ姿勢を正しているのでいいのだろうか、ということです。

だめですよね。本当はだめですよね。わかっています。
少しずつ、少しずつ。僧侶らしくなれるようがんばります。

 

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朝はパン派の我が家のお仏飯事情

「朝起きたらお仏壇に炊きたてのごはんと、
お水またはお茶をお供えしましょう。」

 

そう言いますが、我が家の朝はパンです。
ご飯は炊きません。

 

「えぇー?お寺なのに??」という声が聞こえてきそうですが、期待に添えずごめんなさい。お寺の住職ですがパン派です。朝にご飯は炊きません。

 

 

そんな我が家、お仏飯はどうしているかというと、昼や夜にご飯を炊いたとき、一番のご飯を仏さまにお供えするようにしています。朝のお勤めのときにはお水とお茶(我が家は両方)をお供えします。

仏さまは午前中しか食事を召し上がらないそうなので、できれば午前中に、できれば朝一番にご飯をお供えするのが良いのでしょうが、大事なのは「自分たちがいただくものを、先ず仏さまに」の心だと思っています。朝一番だとしてもチンしたご飯は一番じゃないからNG。昼でも夜でも、ご飯が炊けたらまず仏さまに。うちではそのようにさせていただいています。

 

 

ところで、毎月お参りに行っているお宅で、お仏壇のお水の隣にはいつも金色の飲み物がお供えされているお宅があります。

「あれはビールですか?」

と聞いてみると、

「そうです、妻と毎晩晩酌をしていたので、今でも晩酌をするときには必ず一杯妻にと思ってお供えするんです。」

とおっしゃっていました。亡くなったあとも晩酌は変わらず一緒に。素敵なご夫婦だなあと思いました。

 

別のお宅では、10年以上前に亡くなった娘さんが生前使っていたマグカップで、毎朝コーヒーをお供えされているというところもあります。

 

 

大事なことは、
自分たちがいただくものを、先ず仏さまに。という心です。

 

 

 

 

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実は去年から事情が少し変わりました。

子供が保育園にお弁当を持っていくようになったので1~2日に一度、朝にご飯を炊くようになりました。朝、炊き立てほかほかのご飯を仏さまにお供えし、お弁当箱につめています。ほかほかご飯はやっぱり美味しそう~♪ …といっても朝食は相変わらずパン派なんですけどね!

 

 

 

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「お寺にもサンタさんはやってくるの?」に対する私の答え

12月になると子供達に向けられるこの質問。

「〇〇ちゃん、サンタさんには何をお願いするの??」

 

でも、お寺である我が家の場合、

「あっ…〇〇ちゃんの家はお寺だから…サンタさんは来ないの…かな?」

と、質問をしてくれた相手に気まずい思いをさせてしまうこともあります。クリスマスはキリスト教の神イエスキリストの誕生日、そして子供達にプレゼントを配ってくれるサンタクロースとはキリスト教の聖職者。だからお寺ではクリスマスなんてやってはいけないし、プレゼントももらえないんじゃないか、もしかしたら「うちはお寺ですから!」なんて怒らせてしまうのでは?などと気を遣わせてしまうようです。せっかく楽しい話題を振ってくれたのになんだか申し訳ない…。

 

 

Q.お寺なのにクリスマスをしてもいいの?

お寺によって、というか、その家庭によって様々な考え方があると思いますが、仏教寺院である我が家でも、普通の家庭と同じようなクリスマスをしていると思います。

 

去年はマスキングテープでクリスマスツリーを作りました。
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当時2歳と4歳だった子供達に自由に折り紙等を貼られてコンセプトがわからないものになってしまったのはご愛敬。

 

ケーキも買ってお祝いしました。

 

誕生日だもん。めでたいじゃない。
祝ってあげてもいいじゃない。
ちゃんとお釈迦さまの誕生日も祝ってるし!!!

 

 

 

 

Q.お寺にもサンタクロースは来るの?

キリスト教の聖職者であるサンタクロースは仏教寺院である我が家にもちゃんとやってきます。 

まず、サンタクロースについて、一番好きなのはこのお話。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

今の時代、サンタクロースがすべての子供のもとを回ってプレゼントを届けるのは無理な話。煙突はないし玄関に鍵はかかっているし。だからいろんな人がサンタさんのお手伝いをしながら、みんなのもとにプレゼントが届くんだよ。というわけ。

そして最後には、みんなもいつかこうしたサンタさんのお手伝いをすることがあるかもしれないから、そんなときには子供たちの笑顔のためによろしくね、と締めくくられています。素敵なお話ーー!!!

 

そして、私が思うには、聖職者ともあろうお方が「この家はキリスト教徒だからプレゼントをあげる」「この家は仏教徒だからプレゼントはあげない」などと宗教差別をするはずがない。なので、うちにもちゃんとサンタクロースはやってきて子供達にプレゼントをくれます。ただしうちに来るサンタクロースはリクエスト方式をとっていないようですけどね。

 

 

 

ということで、私は。

 

宗教は違うけど、聖職者の一人として、

サンタクロースの考え方に賛同し、

協力します!

 

 

 

というわけで、我が家はお寺ですがこんな感じでクリスマスもするし、サンタさんも来てくれます。一応言っときますが、お釈迦さまの誕生日は「花まつり」という法要を行い盛大に祝っていますよ。

 


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