4代目住職、尼僧です!

33歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

三歳娘にとっては初めてのお葬式、私にとっては久々の遺族側。人の死ってやっぱり悲しいもの。

近所に住む叔父*1が亡くなりました。月曜日、前回のブログを書き終わり寺報のポスティングに回っていたときのこと、母から電話が入り叔父が救急車で運ばれたと知らされました。急いで寺に戻って母と一緒に搬送先の病院へ向かいましたが、叔父は亡くなっていました。急性心不全だったそうです。その日もいつもと同じように過ごしていた人が、急にこの世からいなくなってしまいました。ものすごくショックです。

昨日、葬儀まで終えましたが、亡くなったという実感がまだ湧きません。僧侶ですから、誰しもがいつどうなるかわからないということはよく考えるし、それを人前で偉そうに話すこともあります。でも、自分に近いところでそれが起きた今、「嘘みたい」「どうして…?」という気持ちがぐるぐると巡っています。

さて、私の住む地域には葬儀社の斎場が近くにないため、葬儀はほとんどの場合お寺で行います。叔父の家の菩提寺はうちのお寺ではないのですが、遠方なので、うちのお寺を葬儀会場にすることになりました。こういう場合、葬儀会場の住職つまり私も伴僧として一緒にお参りすることが多いのですが、今回はそれをお断りして遺族として参列させてもらいました。
僧侶として葬儀を行うとき、心を整えてお経を読まなきゃならないと思うので「感情のスイッチを切る」ような状態でお勤めしています。今までも、親しくしてくれた方の葬儀も何度か勤めていますが、葬儀の間はお経に集中して感情のスイッチをオフにします。導師が泣いて葬儀が勤まらないって事態は避けたいので。ま、泣いちゃったことは何度かありますが…。
今回は、遺族側として参列させてもらえたので、しっかり故人と向き合えました。僧侶としての立場だったらきっとできなかっただろうけど、涙もぼろぼろこぼしてお別れしました。悲しかった。それでもやっぱりまだ受け入れられていないのですが。

 

そして、今回、3歳9ヶ月の娘が人の死というものを初めて知ることになりました。娘にとっても、叔父はよく遊んでくれた大好きな人だったので、人間には必ず最期があり、お別れしなければならないことを丁寧に丁寧に教えるようにしました。

私「これからアツロウさんの家に行くよ。でも、アツロウさんは死んじゃったの。死んじゃうってわかる?」
娘「…???…わからない」
私「アツロウさんは、もう動けなくなっちゃったの。もう遊べないの。だから、みんな悲しいの。」

遺体と対面させたあとに娘は、
「アツロウさん…きらい…。アツロウさん…寝てた…。」
と話していました。いつもと様子が違うことがわかったらしく、娘も混乱していたんだと思います。

私「アツロウさんに、『遊んでくれてありがとう』って言おうね。」
娘「いやだ…。」

たぶん、いつもの叔父じゃないのが怖くて、受け入れられなかったんだろうと思います。いつもは「アツロウさん好き」って言うのに、喜んで叔父のところに行くのに、お話も上手にできるのに、すべて嫌がりました。

「アツロウさん、白いベッド(棺桶)で寝ているね。」
「アツロウさんに、お線香あげてなむなむしようね。」
「アツロウさんは死んじゃって悲しいね。」

何度も何度も伝えました。
どれだけ伝わったのかわからないけど、

「アツロウさん、死んじゃったの?」
「アツロウさん、お線香好きなの?」
「アツロウさん、どこに行ったの?」
「みんな悲しいんだよ」

などと言うようになってきました。3歳なりに少しずつわかってきたのかもしれません。

32歳の私でもまだ混乱しているのだから、3歳の娘がすぐに理解できるはずがないですね。私も娘も、少しずつ受け入れていきます。

*1:厳密にいうと母のいとこなので私の叔父ではないのですが、母と姉弟のように仲が良く、家がすぐ隣ということもありうちにもよく来ていたとても仲の良い親戚でした。「もう、叔父だと思うことにしたよ」という話をしたこともあったっけな。