4代目住職、尼僧です!

33歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

納骨堂のお供え物がなくなる

少し悲しいなあと思っていることがあります。
お寺の納骨堂にお供えされているお菓子や果物がたまになくなるんです。今朝もまた、お彼岸のお供え物を下げに来た檀家さんが「お供えしていたお菓子がなくなっていたよ、誰かが持っていっちゃったのかな。ハハ。」と言って帰っていかれました。

お供え物は基本的にそれぞれお持ち帰りいただくことになっているので、お盆やお彼岸などお参りに来た方がお供えしていったものはそのお宅の方が下げていきます。お参りしてそのまま下げていく方もいれば、近くの方などは数日後にもう一度来て片づけていってくれます。*1 今朝のように、お供え物を下げに来た檀家さんから、お供えしていたものが無くなっていた話をたまに聞きます。

「お参りに来た子供が美味しそうなお菓子を見つけて思わず持って帰っちゃったのかな??」

そう思っていましたが、なくなったと聞いたものが【プレミアムモルツ500mL缶】というときがありました。これは大人の仕業ですよね…?

スーパーで売られている果物の盛り合わせだとなくならないのにメロンや梨だとなくなる。かりんとうだとなくならないのにパイの実だとなくなる。ワンカップのお酒だとなくならないのにプレミアムモルツだとなくなる。同じものでも「寺族」のところだとなくならないのに「〇〇家」のところだとなくなる。

 

どうやら誰かが好きなものを選んで持って帰っているようなのです。

 

そこで、去年のお盆からこのような納骨堂内にこのような掲示をしました。

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納骨堂のお供え物は

みなさんがそれぞれ

大切な人のことを想って

お供えされたものです

 

「美味しそうなお菓子があった、ラッキー♪ 」ではなくて、お供えした人の気持ちを踏みにじる行為だと思うのです。お供えした人の気持ちを考えてみて欲しいのです。

 

・・・・・・・・・

 

お盆やお彼岸のたびにいくつかのお供え物がどこかの誰かによって持って帰られてしまうので、今回のお彼岸もまた、お供えしたお宅の気持ちを考えて悲しいような悔しいような気持ちになっていました。

ですが、このような愚痴をこぼしていたら、こんなお話が聞けました。

 

【昔のお墓のお供え物は歩いて暮らす人たちが持って行く為に放置してあったらしい】

 

【人や動物に“お布施”した方が回り回って供養になる】

 

布施とは仏教のたいせつな修行のひとつで、自分の持っているものを他の人に施すこと。ただしそのときに「〇〇してやった」という気持ちがあってはならず、「喜捨(きしゃ:見返りを求めず、喜んで差し出すこと)」でなければならない。

 

( ゚д゚)ハッ!

 

お供え物は「自分のもの」では無いのかもしれない。

お供え物を布施と考えたら、欲張ったりこだわったりしてはいけないのかもしれない。

 

初めてこのような考えが浮かびました。

今度、お供え物がなくなってしまったという檀家さんがいれば、「どこかの誰かに施すことができた、これも立派な布施ですね」とお声掛けしようと思います。

 

といえども…

食べることに困っている方がやむを得ず持っていっているのなら仕方ないですが、うちの納骨堂でのケースは好きなものだけを持っていっているように見受けられるので、どなたか知りませんがよそのお宅のお供え物を勝手に持って帰ることはやめてもらいたいものです。みんな、気持ちのこもったお供え物なんですから。

*1:遠方の方などは「次に来るのはしばらく後だから、お寺さん、あとで下げて食べてくれるかい?」と置いていかれる方もいるので、お供えされてからしばらく経ったものはお寺で片づけたりすることもあります。