4代目住職、尼僧です!

33歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

念珠が切れてしまったり、念珠を失くしてしまった方へ

冬にあった法要のあと、檀家さんからお寺に電話が入りました。

「お念珠を落としてしまったようなんだけど、お寺にありませんか?」

 

どのような念珠だったのかを尋ねてみると、紫水晶のとても立派な念珠だったことがわかりました。「前の住職と一緒に買ったものなんです」とおっしゃっていて、とても大事にされていたことが伝わってきました。

 

お寺の中はだいたいの片づけと掃除が終わったあとだったので、忘れ物が置いてありそうなところは見回ってみました。一緒に片づけをしていた母にも聞いてみましたが、その念珠は見つかりませんでした。そのことを檀家さんに伝えると、「そうですか…何十年も大事にしていたんですけど…私がうっかりしていたから、仕方ないですね。」と、とても残念そうでした。

あとから母に聞いたところ、念珠を買ったときには前住職である私の父と、母も一緒にいたそうで、そのときの話を教えてくれました。その檀家さんは立派な紫水晶の念珠に一目ぼれをしてしまったそうですが、他の念珠と比べてかなり高価だったので悩んで悩んで悩んだ末、旦那さまや前住職やその場にいた皆に強く勧められて買ったのだそうです。母もそのときのことをよく覚えていて、「すごくいい念珠だったのにね」と、たいへん残念がっていました。

 

そして、最近、その念珠を買ったときの念珠屋さんとお話しする機会があったので、その話をしました。

「約30年前、こちらのお店で紫水晶のとてもいい念珠を買った檀家さんが、この間の法要のときにその念珠を失くしてしまったそうなんです。お寺も探してみたけど、見つからないんです。」

勿体ない…と私が言いかけたそのとき、その念珠屋さんは、

「それは、その方は大きな厄落としをしたんですね」

とすかさず答えました。

「それは厄落としです。30年間護ってくれて、また、大きな厄を落としてくれたんですよ。ありがたいことだと思っていいんじゃないでしょうか。」

私たちの掌の中で、私たちから一番近い場所で、私たちを護ってくれるお念珠。心の中で合点がいったというか、腑に落ちたというか、念珠屋さんの言葉が心に染みました。

 

この言葉を聞いて、私も、失くしてしまった一本の念珠のことを思い出しました。

高野山へ修行に行くとき、修行で使う念珠を父から借りて行ったのでした。百日の修行の間、ずっとその念珠を使い続けていたのですが、残り数日になったとき、その念珠の房の部分が千切れてしまいました。指導教官に相談したところ、使えなくはないけど正しい念珠の形ではないから別の念珠を使うよう言われ、切れた念珠は袂に入れて修行を続けました。そんなふうに使い続けた父の形見の念珠でしたが、修行を終えて寺に戻ってきたらどこにも見当たらなくなってしまったのです。修行を終えたときには間違いなくあったのに、荷物はすべて寺に送ったはずなのに、念珠を失くしてしまったのです。

せっかくの父の形見、修行をともにした思いのこもった念珠、それを失くしてしまったことにショックを受けていたのですが、今思えば、私の悩み・迷い・苦しみを高野山に置いてきてくれたのかな、なんて思いました。

 

念珠が切れてしまったり、失くしてしまったり。

ちょっと凹んでしまいますが…

それは、お念珠が護ってくれたってことなんですよ(^O^)/



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