4代目住職、尼僧です!

38歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

父が死んだ日のこと

今日は父である前住職の命日です。父が亡くなったのは平成21年だったので、あれから9年が経ったことになります。

父が亡くなったときのことはいまだに檀家さんに言われます。

「あのとき住職は修行中でな、修行中は親の葬式にも出られないんだもんなあ。厳しいよなあ。」

 

9年前、私は僧侶になるための修行で高野山にいたため、父の葬儀に出ていません。それが檀家さん方の印象に強く残っているようです。当然ですが、私にとってもあの日はとても印象に残る一日で、「とってもドラマティックだったの!」とネタのように話したいのですが、どうも「親の死に目にも会えない、厳しい修行」「かわいそうに、たいへんだったでしょう」という雰囲気になってしまいます。もうちょっと軽い感じで聞いてもらいたいのに!

せっかく今日は父の命日なので、あのときのことを少し思い返してみようと思います。

 

厳密にいうと、父が亡くなったときはまだ修行に入る前でした。父が臨終を告げられた頃、おそらく私は前日準備のため修行道場に行って自分の使う仏器を磨いたりしていたと思います。その夜は、高野山の親戚の家で泊めてもらっていて、「最後の晩餐♪」などと言いながら幸せいっぱいにハーゲンダッツを味わっていました。父が亡くなったとはまったく知らないままに。

父の容体が良くないのはわかっていました。父は癌の末期で、私が父の入院している病院を出た2月11日の朝には、父は意識があるようなないような、話しかけてもわかっているのかいないのか、返事をしたのかしていないのか、そんな状態でした。私が修行を終えるのは1ヶ月半後の3月末、その頃まではきっともたないんだろうな、これが最後なんだろうなと思いながら「行ってくるね」と告げて父と別れました。

修行に入るのは2月14日の朝から。修行に入ってしまえば、携帯電話などは持ち込めないし手紙なども禁止されるので、家族はもちろん誰とも連絡をとる手段はありません。それどころか、道場にはこんなルールがありました。

『もしも家族などの訃報が修行道場に入った場合、その時点で修行は中止とする』

修行を一時中断して葬儀に出るなんてことができないのは勿論のこと、訃報が入った時点で修行は中止、また最初からやり直しとなってしまうのです。

私の修行中におそらく「もしものこと」が起こることになるだろう、と私は覚悟していたので、母には「もしものとき」の話をしてありました。

「もしもお父さんが死んだときには、連絡はいらない。修行を最後まで終えさせて。」

うちのお寺は住職がいなくなるんだから、「また次の機会に」なんて悠長なことは言っていられなかったんです。ただひとつ誤算だったのは、あんなにも早く亡くなるとは思っていませんでした。修行中に連絡を入れないでほしいとは言ったけど、修行に入る前のことは指示していなかった。母は、私の修行の妨げにならないようにと、「尚子が修行に入るまでは、訃報が尚子の耳に入らないように」と気を遣って、前日に泊めてもらっていた高野山の親戚の家などへも情報を制御していたようでした。

 

そして、なにも知らないまま、修行に入る朝を迎えました。たしか修行道場への集合時間が朝9時頃、私のもとに連絡が入ったのは道場へ向けて出発する10分ほど前でした。連絡は私の地元の友達からでした。一言だけのメール「大丈夫?」でした。でもこれでなにが起きたのかすぐにわかりました。

すぐにその友達に電話を掛けました。友達は私が修行に来ていることも知らないし、私が父の死を知らされていないなんて知るはずもありません。驚かせてしまい悪いことをしてしまった、という気持ちにさせてしまったようですが、教えてくれた友達にはとても感謝しています。たしかそのときも「教えてくれてありがとう」と言って電話を切りました。

 

そして、次に電話を掛けたのは、実家です。電話には伯母が出ました。

「もしもし、尚子です」

「え?尚子ちゃん?」

空気が凍りついたのがわかりました。尚子は知っているのか?知らずに電話してきただけなのか?知っているとしたらなぜ知ってしまったのか?という感じでしょうか。

母に電話を代わってもらい、

「お父さん死んだって友達からメールもらった」

「私はこのまま修行に入るから」 

「大変だと思うけど、あとはよろしく」

そのようなことだけ言って、短い会話だけで電話を切りました。*1

 

そんなことをしている間に出発の時刻になりました。親戚に車で道場まで送り届けてもらい、ドタバタと修行に入りました。親戚には車の中で父の死を知らせました。親戚も驚いて言葉を失っていました。そりゃそうだ、なんて言葉を掛けていいか、たしかにこれは難しい。

 

というわけで、僧侶になるための修行に入る日という、人生でもトップクラスに緊張感のある朝、それも修行が始まるほんの数十分前に飛び込んできたニュースになんだか調子を狂わされたような、私の人生においてどちらが重要なことなんだかわからなくなるような、超絶怒涛の10分間でした。

 

道場に入ってからは、そんなことを言っていられないので、しばらくは誰にも言わずに過ごしました。もちろん最初の数日間は「今頃は葬儀なのかな」「今はもう煙となってしまったのかな」なんて考えてしまうこともあったけれど、父の死を知って修行に入れたことで、特に後半は集中して修行に臨むことができました。

「私はもう、やるしかないんだ」みたいな。

 

あと、打算的ではありますが、「娘は修行中のため住職の葬儀に出ることができません」 ということが多くの檀家さんの耳に入ったのは良かったかもしれません。「親の死に目にも会えないなんて修行って厳しいんだね」「親が亡くなったのによくがんばったね」と、あとからみなさん優しくしてくれました。

 

あとから思えばすべてが良いタイミングで動いていたような気さえします。親の死に目には会えていませんが、私は覚悟して別れたので悔いはありません。

 

 

そんなこんなであれからもう9年。はやいなあ。。。

 

父が今のお寺や私の姿を見たらなんと言うのかな。

わからないけど、私は私なりにいいお寺を目指して、檀家さんのことを思って、日々がんばっています。

 

南無大師遍照金剛。合掌。

 

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*1:電話を切ったあと、うちには親戚やお寺関係の方や檀家さん方がたくさんいたので、「どこから情報が漏れたんだ!?知らせたのは一体誰なんだ!?」みたいな雰囲気になったそうです。知らせてくれた友人にもこの騒ぎが伝わってしまい、「大変なことをしてしまった」と泣かせてしまったようです。でも私は感謝しかしてないよ!サンキュー!