お寺にとって非常に悩ましい問題のひとつ、跡継ぎ問題。
先日、お坊さんが集まる会議と懇親会があり、懇親会の席にて小学生の男の子を持つパパさん住職さん方が「兄弟のどちらが跡をとるのか、本当にどちらかがとってくれるのか、跡取りを育てるのは難しいねえ」というお話をしていました。そこで女児一人男児二人の母である私も、「その話、すっごく興味あります!」と話に加わりました。
そんな中、話の矛先が急に向かったのが、私よりももっと若い、20歳代の若い住職。数年前にお父さんである前住職が亡くなり住職になっています。
「あれ?〇〇君はお兄さんがいたよね?どうして弟なのに継ぐことになったの?」
その答えが衝撃的でした。
「じゃんけんで決めました」
「ええっ!?じゃんけん!??!」
そのとき、たまたま居合わせたお店の人が「そんなに大事なことをじゃんけんで決めていいんですか?」と驚いていました。しかしそれは他の住職が「大事だからこそ、じゃんけんのほうがいいかもしれない」と言い、それには他の住職方も頷いていました。私もそれはわかる気がします。
「それは何歳のときなの?」
「僕は大学3年生でした」
「誰がじゃんけんにしようって言ったの?」
「前住職(彼のお父さん)です」
「一発勝負?」
「三回勝負です」
「勝ったの?負けたの?」
「僕は負けました」
じゃんけんかぁ…じゃんけんかぁ…!!
今まで考えたことがなかったけれど、もしかしたらそれもアリかもなって思いました。
そういえば、私が住職になったばかりの頃「私が住職なんてやっていいのか、自信がない…」とウジウジ悩んでいたときがありました。そのとき、ある方に「なに言ってるの、あなたのところのご本尊さまがあなたを選んだんだから、それは間違いのないことよ。だからあなたはご本尊さまをしっかり供養なさい。」と当然のようにサラリと言われ、その一言で悩みが吹き飛び心が軽くなったのでした。「そっか、ご本尊さまが私を選んだんだ」と思えたのです。
それぞれのお寺にそれぞれの事情があり、みんなそれぞれに気持ちがある。当たり前のように継いだように見える住職にも、みんなそれぞれドラマがあり、悩んだ過去があり、そしてその先に今があるんだろうなって思います。私はまだ継ぐ側の気持ちしか経験していませんが、これから継いでもらう側の悩みも知ることになるんでしょう。それはまだもう少し先の気がしていますが、もしかしたらあっという間なのかもしれません。
そして、そんなこんなで跡継ぎについて少しだけ考えていた矢先、数日前にある曹洞宗のお寺のご住職とお話しする機会があり、また跡継ぎについての話になりました。その住職がおっしゃってた言葉がまた心に響きました。
「大事なのは、寺を継ぐことよりも法を継ぐこと。次の代へどんな教えを継ぐのか、それを考えなければならない。自分は息子に何を継げばいいのか考えているところなんです」
お話の中では、真言宗では聞いたことのない言葉がありました。
「嗣法(しほう)」=法統を受け継ぐこと。弟子が師の法を継ぐこと。禅家でいう。
どうやら、禅宗で使う言葉のようです。
大事なのは法(=教え)を継ぐこと。
将来、私の次の代にお寺を継ぐときがきたら、それが子供たちの誰かだとしても他の誰かだとしても、継ぐのはお寺だけじゃないということを私も考えておかなければならないなと思いました。
私はいったい次の代に何を残せるのか。
えーーー、これはまた難しい問題だーーーーー!!!!!
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