4代目住職、尼僧です!

38歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

好きな食べ物は「桃」、苦手な食べ物は「なし」

さっそくこのブログで使わせてもらっていましたが、このたび、イラストエッセイストの志乃さんに私の似顔絵を描いていただきました♪

 

 【キャラまで伝わるゆるい似顔絵】がコンセプトということで、好きなものや趣味などを聞かれて、「趣味…?好きなもの…?」と悩みに悩んで出たのが、

 

「桃が好きなので、桃から生まれたいです!」

 

ということで描いてもらったのが、これです!

 

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私、本当に桃が大好きで、「来世は桃の木に生まれ変わりたい」などという言葉がでてしまうほどに桃が大好きなので、桃から生まれて本当に幸せです。ありがとうございます。

 

 

ここで私の桃好きエピソードをいくつか紹介します。

 

私は18歳のときに山梨県の大学に進学して一人暮らしをしていたのですが、さすが山梨は桃の産地、地元の青果店で桃を非常に安く売っていました。確か小さめサイズでしたが一箱に20個以上入って千円ほど。「ウッヒョーーーーー♡♡山梨サイコーーーーー♡♡♡」と感動した私は迷うことなくその箱を買って帰りました。

しかし、家に帰っても一人暮らしの冷蔵庫にはすべて入りきらず、(このまま腐らせては勿体ない…腐る前に…全部食べる…!)と、その日から数日間、一日三食(アルバイトの賄いも食べていたので実質2食分だったかも)桃を食べて暮らしました。その結果、バイトで貧血・立ちくらみでフラフラになりました。桃は美味しいけど、桃だけじゃ生きていけないことを学びました。

 

そして、こちらは最近のこと。私の桃好きが少しずつ檀家さんにも知られはじめ、お盆のお参りに行くと桃を出してくれる檀家さんが増えました♡

そしてこちらはここ数年、同じスタイルで桃を出してくれるお宅♡

桃のセルフサービスです。
もちろん大好物なので、自分で剥いてでも食べます♡

 

とにかく桃が大好きなのです。

 

 

そして、ついでに苦手な食べ物の話もします。私の苦手な食べ物は「梨*1」です。))

私は苦手な食べ物がほとんどないのですが、唯一苦手なものが、梨。これを言うとほとんどの人に「えー?どうしてー?美味しいのに!」と言われますが、離乳食の頃から苦手なんです。離乳食時代から、口に食べ物を入れて唯一口から出して嫌がったのが梨だったそうなんです。何が苦手かというと、ザラザラというかツブツブというか、舌触りですね。

 

で、桃と同じく檀家さんのお宅で梨を出していただくことがあります。そのときによって「ごめんなさい、梨が苦手で…」というときと、なにも言わずに食べずに失礼するときとありますが、これは食べずにはいられないと苦手な梨を食べてきたときがありました。

一人暮らしのおばあちゃん、足も弱って腰も曲がっているのに、「住職、この梨美味しいから食べて」と剥いてあった梨を冷蔵庫から出してきてくれました。

もしかして、私に食べさせようと思って買ってきてくれたのかな…
待たせちゃいけないと思って私が来る前に剥いて準備しておいてくれたのかな…

二度「住職、食べて」と勧められ、このときばかりは断れませんでした。

 

ザラザラ・ツブツブを噛まないように、梨を甘噛みしながら、

「うん、美味しい。美味しいですよ。」

といただきました。

 

梨を食べ慣れていないので、美味しい以外のコメントがわからないんですよね。あとから夫に相談したら、梨の褒め言葉は「みずみずしい」だと教えてくれたので、もしまたこんな機会があれば、みずみずしいとコメントします。

 

このとき、久しぶりに梨を食べてやっぱり苦手だなと感じたのですが、おばあちゃんが喜んでくれたので良かったです。そのおばあちゃんはもう亡くなってしまったのですが、その笑顔が今も忘れられません。 

 

 

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*1:私が小学生のとき、食の好みやアレルギーなどを申請する書類に、うちの母が「嫌いな食べ物:なし(果物)」と書いていました。「漢字で書けばよくない?」と娘につっこまれ、「あ、そっか、気づかなかった」と答える母。天然ボケ。

父が死んだ日のこと

今日は父である前住職の命日です。父が亡くなったのは平成21年だったので、あれから9年が経ったことになります。

父が亡くなったときのことはいまだに檀家さんに言われます。

「あのとき住職は修行中でな、修行中は親の葬式にも出られないんだもんなあ。厳しいよなあ。」

 

9年前、私は僧侶になるための修行で高野山にいたため、父の葬儀に出ていません。それが檀家さん方の印象に強く残っているようです。当然ですが、私にとってもあの日はとても印象に残る一日で、「とってもドラマティックだったの!」とネタのように話したいのですが、どうも「親の死に目にも会えない、厳しい修行」「かわいそうに、たいへんだったでしょう」という雰囲気になってしまいます。もうちょっと軽い感じで聞いてもらいたいのに!

せっかく今日は父の命日なので、あのときのことを少し思い返してみようと思います。

 

厳密にいうと、父が亡くなったときはまだ修行に入る前でした。父が臨終を告げられた頃、おそらく私は前日準備のため修行道場に行って自分の使う仏器を磨いたりしていたと思います。その夜は、高野山の親戚の家で泊めてもらっていて、「最後の晩餐♪」などと言いながら幸せいっぱいにハーゲンダッツを味わっていました。父が亡くなったとはまったく知らないままに。

父の容体が良くないのはわかっていました。父は癌の末期で、私が父の入院している病院を出た2月11日の朝には、父は意識があるようなないような、話しかけてもわかっているのかいないのか、返事をしたのかしていないのか、そんな状態でした。私が修行を終えるのは1ヶ月半後の3月末、その頃まではきっともたないんだろうな、これが最後なんだろうなと思いながら「行ってくるね」と告げて父と別れました。

修行に入るのは2月14日の朝から。修行に入ってしまえば、携帯電話などは持ち込めないし手紙なども禁止されるので、家族はもちろん誰とも連絡をとる手段はありません。それどころか、道場にはこんなルールがありました。

『もしも家族などの訃報が修行道場に入った場合、その時点で修行は中止とする』

修行を一時中断して葬儀に出るなんてことができないのは勿論のこと、訃報が入った時点で修行は中止、また最初からやり直しとなってしまうのです。

私の修行中におそらく「もしものこと」が起こることになるだろう、と私は覚悟していたので、母には「もしものとき」の話をしてありました。

「もしもお父さんが死んだときには、連絡はいらない。修行を最後まで終えさせて。」

うちのお寺は住職がいなくなるんだから、「また次の機会に」なんて悠長なことは言っていられなかったんです。ただひとつ誤算だったのは、あんなにも早く亡くなるとは思っていませんでした。修行中に連絡を入れないでほしいとは言ったけど、修行に入る前のことは指示していなかった。母は、私の修行の妨げにならないようにと、「尚子が修行に入るまでは、訃報が尚子の耳に入らないように」と気を遣って、前日に泊めてもらっていた高野山の親戚の家などへも情報を制御していたようでした。

 

そして、なにも知らないまま、修行に入る朝を迎えました。たしか修行道場への集合時間が朝9時頃、私のもとに連絡が入ったのは道場へ向けて出発する10分ほど前でした。連絡は私の地元の友達からでした。一言だけのメール「大丈夫?」でした。でもこれでなにが起きたのかすぐにわかりました。

すぐにその友達に電話を掛けました。友達は私が修行に来ていることも知らないし、私が父の死を知らされていないなんて知るはずもありません。驚かせてしまい悪いことをしてしまった、という気持ちにさせてしまったようですが、教えてくれた友達にはとても感謝しています。たしかそのときも「教えてくれてありがとう」と言って電話を切りました。

 

そして、次に電話を掛けたのは、実家です。電話には伯母が出ました。

「もしもし、尚子です」

「え?尚子ちゃん?」

空気が凍りついたのがわかりました。尚子は知っているのか?知らずに電話してきただけなのか?知っているとしたらなぜ知ってしまったのか?という感じでしょうか。

母に電話を代わってもらい、

「お父さん死んだって友達からメールもらった」

「私はこのまま修行に入るから」 

「大変だと思うけど、あとはよろしく」

そのようなことだけ言って、短い会話だけで電話を切りました。*1

 

そんなことをしている間に出発の時刻になりました。親戚に車で道場まで送り届けてもらい、ドタバタと修行に入りました。親戚には車の中で父の死を知らせました。親戚も驚いて言葉を失っていました。そりゃそうだ、なんて言葉を掛けていいか、たしかにこれは難しい。

 

というわけで、僧侶になるための修行に入る日という、人生でもトップクラスに緊張感のある朝、それも修行が始まるほんの数十分前に飛び込んできたニュースになんだか調子を狂わされたような、私の人生においてどちらが重要なことなんだかわからなくなるような、超絶怒涛の10分間でした。

 

道場に入ってからは、そんなことを言っていられないので、しばらくは誰にも言わずに過ごしました。もちろん最初の数日間は「今頃は葬儀なのかな」「今はもう煙となってしまったのかな」なんて考えてしまうこともあったけれど、父の死を知って修行に入れたことで、特に後半は集中して修行に臨むことができました。

「私はもう、やるしかないんだ」みたいな。

 

あと、打算的ではありますが、「娘は修行中のため住職の葬儀に出ることができません」 ということが多くの檀家さんの耳に入ったのは良かったかもしれません。「親の死に目にも会えないなんて修行って厳しいんだね」「親が亡くなったのによくがんばったね」と、あとからみなさん優しくしてくれました。

 

あとから思えばすべてが良いタイミングで動いていたような気さえします。親の死に目には会えていませんが、私は覚悟して別れたので悔いはありません。

 

 

そんなこんなであれからもう9年。はやいなあ。。。

 

父が今のお寺や私の姿を見たらなんと言うのかな。

わからないけど、私は私なりにいいお寺を目指して、檀家さんのことを思って、日々がんばっています。

 

南無大師遍照金剛。合掌。

 

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*1:電話を切ったあと、うちには親戚やお寺関係の方や檀家さん方がたくさんいたので、「どこから情報が漏れたんだ!?知らせたのは一体誰なんだ!?」みたいな雰囲気になったそうです。知らせてくれた友人にもこの騒ぎが伝わってしまい、「大変なことをしてしまった」と泣かせてしまったようです。でも私は感謝しかしてないよ!サンキュー!

尼僧の私が読んだ「余命10年」

職業柄なのかもともとなのか、「いかに生きるか」というテーマの小説があると読んでみたくなります。この本は、たまに立ち寄る本屋さんの売れ筋コーナーで見かけて、気になったので買って読みました。

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 「余命10年」という、長いのか短いのかどちらともいえない時間。
そして表紙には、若い女の子のイラスト。


この子はこの10年をどう生きていくのだろうか・・・?

 

主人公の茉莉(まつり)は、20歳のときにある病気を宣告されます。
その病気は治療法が発見されておらず、同じ病気で10年以上生きた人はいない。

 

第一章の最後の文が印象的でした。

あと10年しか生きられないとしたら、あなたは何をしますか。
長いと思い悠然と構えられますか。
短いと思い駆け出しますか。
あと10年しか生きられないと宣告されたのならば、
あなたは次の瞬間、何をしますか。

長いとも短いともとれる10年という年月。
人生を楽しむには短すぎるし、ベッドの上で耐えるだけなら長すぎる。

 

茉莉は、周りの人に対していつも笑顔で接します。
でも、心の中では、周りの人のように"普通に"生きられないという強い劣等感を抱え、しばしば絶望し、いろんなことを諦めていきます。

恋なんかしない。幸せを望んだら今の自分が不幸みたいじゃないか。

人や物に執着しない生き方をするように。
執着すると、死ぬことが怖くなるから。

 

しかし、茉莉は一緒にいて楽しいと思える男性に出会ってしまいます。もう会わないようにしようと何度も思いながら、どんどん惹かれていってしまいます。

彼といると楽しいあとは必ずつらい。楽しい分だけつらい。
つらいのにもう会いたい。
恋愛感情なんて、一番最初に殺したはずだったのに。
どうかわたしに、死にたくないと思わせないで。

未来に望むものを持たないことで死の恐怖から逃れていた茉莉が、また強く悩み始めます。そして、彼にはずっと病気のことを隠し続けて付き合ってきた茉莉でしたが、発作を起こし倒れてしまったことで、彼にもすべてを告白するときがきました。そのとき、茉莉は27歳。宣告された命の期限はあと3年。

そこで彼は茉莉にこう言います。

結婚しよ。3年でいい。茉莉の最後の時間を俺にくれないか?

 

 

うおおおおおおおん! はいっ、ここまでーーーーー!!!!

 

思っていたよりもバリバリの恋愛小説でした。

でも、ここでブログにしようと思ったのは、この茉莉の考え方というか達観の仕方が非常に仏教的だなと感じたからです。

お釈迦さまは、人生は「苦」ばかりだと言いました。いわゆる四苦八苦です。そして、その「苦」を取り除くには、「迷い」や「執着心」を捨てることと言いました。

彼に出会う前の茉莉の生き方は、苦しみのダメージを最小限にする生き方だったのかもしれません。茉莉はそれを知っていたのか、それに気づいたのか、お釈迦さまの悟りの境地です。

 

苦しみはできるだけ少ないほうが良い。

 

でも、欲や執着を捨てる生き方は、人間らしいと言えるのかどうか。

 

やっぱり生きるって苦しいこと。

 

お釈迦さまの言うことは二千年後の今も正しい。

 

 

 

この小説を書いた小坂流加さんは、今年の2月に亡くなっているそうです。詳しい病名はわかりませんが、作者紹介の欄に「病状が悪化し」と書かれていたので病気をお持ちだったのでしょう。もしかしたら茉莉の生き方や考え方は小坂先生自身だったのかもしれません。

 

この本を読み終えて。

読んでみてよかったなって思っています。

最後、茉莉は亡くなります。もちろんハッピーエンドとはいえないし、でも悲しいだけの結末じゃないし、いろんなことを考えさせてくれる小説でした。決して暗い気持ちにはなっていません。

私は気に入った小説は何度も繰り返して読むのですが、この本もお気に入りの一冊になるかもしれません。

 

 

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尼僧が水子供養について考えた

 

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水子供養のご案内|金胎山真言院|高野山真言宗|真狩のお寺

 

 

 

久しぶりのブログ更新です。だいぶんさぼっていました。

さぼっている間に何をしていたかというと、

 

水子供養について考えていました」

 

水子とは、流産・死産や人口妊娠中絶などにより産声を上げることができなかった赤ちゃんの霊のこと。私が僧侶になってから約7年の間にも何件か相談があって水子供養をさせていただきました。その中には、「何年も前に流産した子が気になっている」という方もいて、流産・死産・中絶をしたそのときには供養の相談を言い出すことができず、後々もずっと気になっている方もいるのかもしれないなと思いました。

 

私自身、流産などはなく無事に3人の子供を産むことができたのですが、妊娠出産の経験があるからお腹の中に宿る命の存在がいかに大きいかはわかります。その子を亡くした、産んであげることができなかった苦しみも少しは想像できます。

 

だからこそ、丁寧に水子の供養をしてあげたいな、と。

 

そして、私の想像ですが、水子を持ったお母さんのほうも、きっと罪悪感のようなものをずっとずっと抱えて生きているような気がします。

初期の流産は私たちが思っているよりもかなり多く、そのほとんどが染色体異常などで赤ちゃん自身が育つことができずに流産してしてしまったものと聞きます。だからお母さんはまったく悪くありません。ですが、「あのときの〇〇が悪かったのかも」「〇〇してあげていれば産むことができたのかも」などと自分を責めてしまう人もいるそうです。すごくわかります。妊娠すると、不安がたくさんで、特に初期の胎動を感じる前は「お腹の赤ちゃんは元気かな」「大丈夫かな」と1ヶ月に一度の検診が楽しみと不安が入り混じった気持ちでとても待ち遠しいものでした。お母さんは悪くないと言われても、なにか自分に原因があったんじゃないかと思う気持ちはよくわかります。

中期以降、胎動を感じてからの死産は、ものすごく辛いことだろうなと少しは想像できます。お腹の中の赤ちゃんは、顔を見ていなくても声を聞いていなくても自分の子でとても愛らしい存在です。こうして誰よりも近い場所でいつも一緒に生きていた子を失うのは、とてもとても辛いことだと思います。そして、苦しい思いをして産み、普通の赤ちゃんよりもだいぶ小さいけれどちゃんと人間の形をして可愛い顔をした赤ちゃんの顔を見ることもできたのに、その赤ちゃんは生きていない、生きていくことができないという現実を目の前に突きつけられる苦しみは、たぶん想像を遥かに超えるものだと思います。(今、想像だけで泣きそう)

そして、中絶は、母体や胎児の身体の事情、経済的や社会的ないろいろな事情があると思いますが、中絶を好んでする人はいないと思います。最後の決断するのは自分だという苦しみが大きいと思います。もしかしたらこれが一番辛いのかもしれない。でも、それは赤ちゃんが生まれてきたあとのことを考えての、赤ちゃんの幸せを願っての決断なんですよね。責めちゃいけない。

 

私が思う水子供養は、赤ちゃんの幸せを願うことだと思っています。 

私は、そのような辛いお別れを経験した方には、水子供養を通じてお別れした赤ちゃんをずっと忘れずにいてあげてほしいと願っています。それは辛い過去を「背負う」ということではなく、ご自身を護ってくれる可愛い水子の霊と「ともに生きていく」ということです。

水子の霊の幸せのために、またお母さん自身の幸せのために、水子供養をしてほしい。一緒にさせてほしい。そんなふうに思っています。

 

 

たぶん、うちの檀家さんの中にも、言えずに抱えてしまっている方がいるんじゃないかと思います。だから、「うちでは水子供養やってますよ」「水子のことでお悩みなら相談してくださいね」などと、普段から言っておくことが必要だなと感じました。

 

書きなぐってしまったので読みにくい文章になってしまいましたが、そんなことを最近考えていました。現在、檀家さん配布用のパンフレットを作ったり、ゆくゆくはホームページなどにも載せて様々な事情でお参りに行けない方の供養も受け付けられるようにしたいなと思っています。

 

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境内にある水子地蔵の像。

こどもたちを護ってくれるお地蔵さまです。

 

 

 

 

三児の母住職が書いた、妊娠出産にまつわる話です。

良かったらこちらも読んでみてください。

 shingon-in.hatenablog.com

shingon-in.hatenablog.com

 

 

 

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私のハマリもの「万年筆と美文字練習」~ポップな色で写経をしてみた~

最近、万年筆にはまっています。

 

手持ちの万年筆は5本。
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書類などにも使える「黒」と「ブルーブラック」以外のカラーインクが5色。
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「こんなに使う機会あるの?」と夫に言われましたが、まさしくその通り。誰か手紙を書く相手はいないかなと考えてみましたが、ほとんど思いつきません。字が書きたくて書きたくて、五歳娘用にもらってあったひらがなのワークをやってみたり、やりかけだった筆ペン字練習帳を万年筆で再開してみたり。せっかくなので美文字を手に入れたいと、万年筆を使って字の練習を始めました。
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なんか他にも書くものないかな~??と考えていたら、
そうだ、うちにいいお手本があったじゃないか!と思い出しました。
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万年筆で写経♪*1

 

 

敢えていちばんポップな色を使ってみました。
パイロットから出ている万年筆インキ「色彩雫 - iroshizuku - 」の「秋桜 - kosumosu -」です。

  

こんな色のインクを使って、ふざけて写経をするなんてとんでもない!とお坊さんに怒られそうな気がします。だから坊さんである私がやってみました。

 

別にお経を粗末に扱っているわけじゃなし、手本を敬って書いてるんだから、別にいいじゃないの~~

 

 

若い女の子などでも写経に関心がある人がいるようです。そんな人たちに修行としての写経を体験してもらうのが仏教を広めようとする人間としてはもちろん良いですが、ただ「字が書きたい」という理由での写経もいいんじゃないのかなって思うんです。仏教はあんまり興味ないけど、写経は好き。いいんじゃないですか。

 

字を書くことが好きだから写経が好きと言う。

御朱印をアートだと言う。

仏像をカッコイイと言う。

 

いいじゃないですか。

 

そんなところから仏教の一面にでも興味を持ってもらえたら、と私は思うのです。

 

 

 

 

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*1:「なぞり」ではなく「写し」でやりました。薄い紙の下に手本を置いて上からなぞって書く方法です。

お盆のお寺の素敵なストーリー

ストーリー① 「再会」

お寺ですれ違った男性2人。
お互い不思議そうに振り返って目を合わせて、

A「え、なんか、見たことある顔なんだけど?」

B「俺もなんか見たことある…」

A「すいませんが、お名前は…?」

B「〇〇…」

A「〇〇!? うそだろ? オイ!ずいぶん久しぶりじゃねえか!」

 

お寺で留守番をしていると、毎年必ずこういう場面に出くわします。昔、生まれ育った土地に里帰りしてお墓参りに行くと、懐かしい顔に会えるんですね。

「今、どこに住んでるんだ?」

「仕事はなにしてるんだ?」

「そっちは奥さん? どうもどうも、はじめまして。昔、俺とコイツは……」

久しぶりの再会がとても楽しそうで、こちらまで嬉しくなりました。

 

 

 ストーリー② 「孝行」

お寺に将棋盤が置いてあります。これは、うちの夫や五歳児・三歳児の遊び用。日曜日など保育園がお休みの日にお寺で留守番をしながら遊んでいたときに使っていたものです。

ある檀家さんがお孫さんを連れてお参りに来ました。その檀家さんからは、いつも離れて暮らしているお孫さんはまだ5歳なのに将棋会館に通って将棋をしていること、たまに会って対局しても負けてしまうことなど、お孫さんと将棋を指すことについて聞いたことがありました。

「将棋盤ありますよ。一局どうですか?」

声を掛けてみると、お孫さんとおじいちゃんはすぐに将棋盤に興味を示してくれました。

「うわあ、これは立派な将棋盤だねえ。」

駒は新しく買ったものですが、盤は大正初期生まれの祖父が使っていたものなのでかなり年季が入っています。

「よし、一局やるか!」

お孫さんとおじいちゃんの対局が始まりました。

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「これは長くなるよ。お参りがまだなのにね。」などと言っていたおばあちゃんとお母さんでしたが、その予想を覆し対局は10分もかからず終了。5歳のお孫さんの勝ちでした。

 

「負けたー! 今のはちょっと手を抜いただけだからな!」

おじいちゃんの言葉がどこまで本気なのかわかりませんが、おじいちゃんもお孫さんも、おばあちゃんもお母さんも、そして私も楽しい時間でした。

 

こうやってお寺が人と人をつなぐ場所になれること、人が笑顔になれる場所になれることがとても嬉しく思いました。

 

お盆って、こういうところがとてもいい。

 

 

 

 

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テレビ電話で墓参り

いつも8人のお孫さんを連れてお参りに来てくれる〇沢家。今年は一番上のお姉ちゃんが北海道外で就職しているため帰省できず、今年はお寺へお参りに来られませんでした。

 

そこで出てきたツールがLINEのテレビ電話。

「みんなでお寺に来てるよー。ほら、みんないるよー。」

「ほんとだ。みんないる。」

 

「お寺さんもいるよー。」
と、私も映してもらいました。

「あ、ほんとだ。お寺さんだ。こんにちはー。」 

「〇〇ちゃん、こんにちは。お仕事がんばってねー。」

 「はーい、がんばりまーす。」

 

電波が悪く途切れ途切れでしたが、去年よりまた少し大人になった〇〇ちゃんの顔を見れて私も嬉しくなりました。

そしてその後は、読経の間もテレビ電話で中継です。お参りのあいだ、〇〇ちゃんはずっと電話のむこうで一緒に手を合わせてくれていたようでした。できれば帰ってきてみんなで一緒にお参りしたかったけど、仕事で都合がつかなかったんですね。離れているけど一緒に時間を共有できた気がしました。

 

最近、「インターネット墓参り」という、お墓の写真を自宅のパソコンに映してくれてその画面を見ながらお参りするサービスがあります。実は私はそれにはあまり賛成できなかったのですが、今日テレビ電話で一緒にお参りをしたことで少し考え方が変わりました。ネット墓参りは、いろんな理由でお墓参りに足を運べない人がそのときできる「お墓参り」なんですね。お参りしたいという気持ちがいちばん大事なので、こういうのもいいかもしれません。ネット墓参りを利用する施主さんは「面倒だからネットですましちゃえ」というような気持ちではないように思いました。お参りしたいけど、行くことができない。でも、なんとかお参りしたい。そんな施主さんは、足を運べるときには必ず来てくれますよね。そんなふうに思いました。

 

  

お盆にお寺で留守番をしていると、いろんな素敵な場面に出会えます。
それについては、また次のブログで。

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