住職になってあっという間に5年半が経ちました。住職として5年半やってきたけれども、正直言って今でも悩んでいます。
5年半前、27歳の冬、住職の任命式のために本山・高野山へ行ったとき、この日が終われば住職だというのに「こんな私が住職やっていいのかわからない…」とウジウジしていた私。それでも、みんなの前ではそんなこと言っていられない。
「自分しかいない!やるしかない!」
この気持ち*1だけで、駆け抜けてきました。
正直言って今でも僧侶や住職でいることに自信がなくて、「どうしてお寺さんになろうと思ったの?」という質問にうまく答えられずにいました。(……別に…なりたくてなったわけじゃないから…でもそんなこと言えない…。)
そんなとき出会ったのがこの記事です。
その中の、以下の部分。
「だって、生まれちゃったんだもん」
ある意味、勇気の要ることではありますが、日本の多くの僧侶が前を向いて進んでいくためには、「あなたはなぜ、僧侶になったのですか?」「なぜ、その宗派の教えを説いているのですか?」という問いに対して、「だって、このお寺に生まれちゃったんだもん。」と正直に答えることから始めてみてはどうかと思います。
今まで、言えなかったこの言葉。絶対に言ってはいけないことだと思っていました。これを読んで、なんだか急に肩の荷が軽くなった気がしました。
これでいいんだ。お寺に生まれたことも立派なひとつの縁なんだ。私は住職という立場ながら、僧侶である自分には自信が持てずにいる。これでいいんだ。
だから、次に「どうしてお寺さんになろうと思ったの?」と聞かれたときには、こう答えてみようと思います。
「だって、お寺に生まれちゃったんだもん!」
ちょっとドキドキするけどね。
*1:私がお寺を継がなかった場合、お寺はだれか他の住職に来てもらってその住職に継いでもらうことになります。今、私たち家族が住んでいる家は住職の住宅なので、住職にならなかった場合、私たち家族は住む家も失います。自分が生まれ育った家、父の兄弟たちが生まれ育った家を捨てるという決断はできなかった…。