先日、こんな質問をいただきました。これまで私のまわりにいたキリスト教に関わる人たちのことを思いだしたのでその人たちについて書いていきたいと思います。
宗教コンボの友人
高野山大学に通っていたとき、私と同じくお寺の一人娘の友達がいました。彼女の実家のお寺の宗派は真言宗智山派で、大学の宗派である高野山真言宗とは少しだけ違いました。今は実家のお寺でお手伝いをしているらしいのですが、彼女のこれまでの経歴が少し変わっています。
彼女の出身高校はカトリック系の学校、そして仏教系の大学(出会ったのは3年次編入をした高野山大学でしたが、1~2年のときに通っていた大学も他の宗派の仏教系大学でした)に進み、卒業後はなんと巫女さんになって東京の大きな神社で働いていました。巫女になると彼女から聞いたときには、「宗教のコンボwww最強じゃんwww」などと笑った気がしますが、彼女はどの宗教に対してもとても信心深くどの宗教の神様も仏様も大切にしていました。彼女は今はお寺にいますが、神社を見つけたら参拝し、教会を見つけたらお祈りに行くと思います。いろいろな宗教のいいところを知って広い視野で物事を見ることができそうで羨ましく思っています。
外国人のお嫁さん
地元のある檀家さんに外国出身のお嫁さんがいます。母国では宗教は何を信仰していたかと聞いてみたら、キリスト教とおっしゃっていました。
そのご家族が亡くなったとき、彼女と初めていろいろな話をしました。日本の葬儀と母国での葬儀の違いを教えてくれて、「死に対する考え方や教義は違っても、祈ることは同じ。いちばん大事なのは愛です」と話していました。仏教での考え方や作法をいろいろと熱心に聞いてきて勉強されており、お寺や僧侶、仏様や仏教の作法をとても大事にしてくれました。
もっとも印象的だったのは、火葬場にて最後に炉の扉が閉じるとき、彼女が胸の前で十字を切っているのが見えました。故人への「愛」をもって、彼女は彼女の信じる神に祈ってくれた。私はそれを見てまったく悪くは思いませんでした。
外国人参拝客
冬になると、うちのお寺には外国人参拝客がたまにですがいらっしゃいます。というのも、隣の町が国際的リゾート地になっていて、海外から多くの観光客がスキーをしに訪れます。通りがかりの外国人がおそらく「Japanese temple !!」と覗きに来るのです。
寺を覗いている外国人を見つけたら、できるだけ寺の中に案内するようにしています。私は英語があまり得意ではないので、言葉もあまり通じないし、もし悪い人だったらどうしようと怖い気持ちもありましたが、ほとんどの方が身近な日本人以上にお寺に感動してお参りしてくれることに気付きました。「Jinja?Tera?」と区別がついていない人もいますが悪い気はまったくしません。いずれにしても大切にしてくれるのが伝わってくるので、もともと持っている信仰心の厚さなのかなと思います。
まとめ
キリスト教に関わってきた人たちを思い浮かべたとき、どの方もみなさん信心深く、他宗教である仏教もとても大切に尊重してくれると感じています。そしてそれがとても素晴らしいなと感心しています。いろんな神様や仏様を信仰してどっちつかずで悩んでしまうのは、一神教であるキリスト教であるが故の悩みかもしれませんね。でも、そう悩むのは、質問者様が立派なクリスチャンであるからではないですか?心の中心にいるのはイエスさまなんだと思います。でも、イエスさまがお許しになるかどうかは、私にはわかりません。それはイエスさまが決めることですから(笑)
お寺としては、迷惑なことはまったくありません。お寺を好きと感じてくれる人、大切にしてくれる人がいてくれることはとてもありがたいです。そのように言ってくれる方々が気持ちよく過ごせる場所だったり落ち着ける場所になれていたらいいなと思っています。
あと、これを機に宗教コンボの彼女にも久しぶりに連絡をとってみました。質問の文章を見せて「どう思う?」と聞いてみましたところ、
日本人らしくていいと思う
クリスチャンになったことは、それは「縁」があってその道に進んだってこと
いろんな宗教や文化に触れて、いいものをいいと思うのはいいことだよね
とのことでした。ご参考までに。
そういえばこの漫画『聖☆おにいさん』は宗教コンボの彼女に教えてもらいました。彼女と久しぶりに電話できて嬉しかったです。