4代目住職、尼僧です!

38歳で3児の母、ゆるりゆるりと住職やってます

お盆のお寺の素敵なストーリー

ストーリー① 「再会」

お寺ですれ違った男性2人。
お互い不思議そうに振り返って目を合わせて、

A「え、なんか、見たことある顔なんだけど?」

B「俺もなんか見たことある…」

A「すいませんが、お名前は…?」

B「〇〇…」

A「〇〇!? うそだろ? オイ!ずいぶん久しぶりじゃねえか!」

 

お寺で留守番をしていると、毎年必ずこういう場面に出くわします。昔、生まれ育った土地に里帰りしてお墓参りに行くと、懐かしい顔に会えるんですね。

「今、どこに住んでるんだ?」

「仕事はなにしてるんだ?」

「そっちは奥さん? どうもどうも、はじめまして。昔、俺とコイツは……」

久しぶりの再会がとても楽しそうで、こちらまで嬉しくなりました。

 

 

 ストーリー② 「孝行」

お寺に将棋盤が置いてあります。これは、うちの夫や五歳児・三歳児の遊び用。日曜日など保育園がお休みの日にお寺で留守番をしながら遊んでいたときに使っていたものです。

ある檀家さんがお孫さんを連れてお参りに来ました。その檀家さんからは、いつも離れて暮らしているお孫さんはまだ5歳なのに将棋会館に通って将棋をしていること、たまに会って対局しても負けてしまうことなど、お孫さんと将棋を指すことについて聞いたことがありました。

「将棋盤ありますよ。一局どうですか?」

声を掛けてみると、お孫さんとおじいちゃんはすぐに将棋盤に興味を示してくれました。

「うわあ、これは立派な将棋盤だねえ。」

駒は新しく買ったものですが、盤は大正初期生まれの祖父が使っていたものなのでかなり年季が入っています。

「よし、一局やるか!」

お孫さんとおじいちゃんの対局が始まりました。

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「これは長くなるよ。お参りがまだなのにね。」などと言っていたおばあちゃんとお母さんでしたが、その予想を覆し対局は10分もかからず終了。5歳のお孫さんの勝ちでした。

 

「負けたー! 今のはちょっと手を抜いただけだからな!」

おじいちゃんの言葉がどこまで本気なのかわかりませんが、おじいちゃんもお孫さんも、おばあちゃんもお母さんも、そして私も楽しい時間でした。

 

こうやってお寺が人と人をつなぐ場所になれること、人が笑顔になれる場所になれることがとても嬉しく思いました。

 

お盆って、こういうところがとてもいい。

 

 

 

 

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テレビ電話で墓参り

いつも8人のお孫さんを連れてお参りに来てくれる〇沢家。今年は一番上のお姉ちゃんが北海道外で就職しているため帰省できず、今年はお寺へお参りに来られませんでした。

 

そこで出てきたツールがLINEのテレビ電話。

「みんなでお寺に来てるよー。ほら、みんないるよー。」

「ほんとだ。みんないる。」

 

「お寺さんもいるよー。」
と、私も映してもらいました。

「あ、ほんとだ。お寺さんだ。こんにちはー。」 

「〇〇ちゃん、こんにちは。お仕事がんばってねー。」

 「はーい、がんばりまーす。」

 

電波が悪く途切れ途切れでしたが、去年よりまた少し大人になった〇〇ちゃんの顔を見れて私も嬉しくなりました。

そしてその後は、読経の間もテレビ電話で中継です。お参りのあいだ、〇〇ちゃんはずっと電話のむこうで一緒に手を合わせてくれていたようでした。できれば帰ってきてみんなで一緒にお参りしたかったけど、仕事で都合がつかなかったんですね。離れているけど一緒に時間を共有できた気がしました。

 

最近、「インターネット墓参り」という、お墓の写真を自宅のパソコンに映してくれてその画面を見ながらお参りするサービスがあります。実は私はそれにはあまり賛成できなかったのですが、今日テレビ電話で一緒にお参りをしたことで少し考え方が変わりました。ネット墓参りは、いろんな理由でお墓参りに足を運べない人がそのときできる「お墓参り」なんですね。お参りしたいという気持ちがいちばん大事なので、こういうのもいいかもしれません。ネット墓参りを利用する施主さんは「面倒だからネットですましちゃえ」というような気持ちではないように思いました。お参りしたいけど、行くことができない。でも、なんとかお参りしたい。そんな施主さんは、足を運べるときには必ず来てくれますよね。そんなふうに思いました。

 

  

お盆にお寺で留守番をしていると、いろんな素敵な場面に出会えます。
それについては、また次のブログで。

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広がれ、尼僧の輪!

尼僧の住職さんって珍しいですよね?
どのくらいいるんですか?

 

私もよく聞かれるのですが、わかりません。
『全国尼僧の会』とかがあるわけではないので。

 

しかし、最近、私のまわりでは尼僧が少しずつ増えてきているような気がします。

 

今日もそのニュースを聞くことができました。

隣の村のお寺さん。
娘さんが二人と、年が離れて弟が一人いると聞いています。
その娘さんの一人が僧侶になってお寺を手伝っていると聞きました。

私としても、仲間ができたようで嬉しいニュースです。

 

今まで、お寺に娘しかいない場合、婿をもらってお寺を継ぐというのが当然の流れでした。が、私がその流れを壊したのかもしれません。私が修行を終え僧侶となり、住職になったあとから、私のまわりでは修行に行くお寺の娘さんが増えています。もしかしたら知らないだけで今までもいたのかもしれないし、たまたま私が同じ境遇だからお話ししてくれるだけかもしれませんが。

「実は、ここだけの話なんだけど…。娘が坊さんになりたいと言っていて…」
と、あるお寺の住職から相談を受けたこともありました。

生きかたが多様化しているこの時代、お寺の継ぎかたもいろいろあっていいんじゃないかと思います。私の生きかたが他の誰かの人生の選択肢を広げるひとつのきっかけになっていたら嬉しいなと思っています。

 

北海道にも尼僧が増えてきたら、尼僧だけの法要とかもやってみたいな♪

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尼僧は袈裟も可愛く♡

私のお気に入りの「修多羅(しゅたら)」をご紹介します。

 

まず、「しゅたら」とは、 

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コレのことです。 

 

「しゅたら」はサンスクリット語「スートラ」のことで、「スートラ」は経典などを意味します。袈裟の背中側、左肩からぶらりと垂れ下がっているこの組紐は、もともとは経典を背負うためのものだったようです。

ちなみに今はこれを使って経典を背負ったりはしません。ただぶらりと垂らしているだけです。

 

 

私が住職に就任するとき、記念に袈裟を作ってもらいました。導師を勤めるときに身につける「七條袈裟(しちじょうげさ)」と言われる袈裟、いわゆる勝負服です。その袈裟に合うように法衣店の社長さんが組紐の色を考えて作ってくれたのがこの「しゅたら」。ピンク・緑・紫・金を組み合わせて作られています。

ほら、見てください。可愛い。

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色づかいがとっても可愛い。

当時27歳で住職になった私に合うように作ってくれたんだろうなと思います。

 

 

 

サイズも、普通のものに比べたら一回り小さく作られています。

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上のものが普通サイズもの、下のものが私のです。

ほら、小ぶりで可愛い。

 

 

他のお寺さんも、檀家さんも、「その修多羅かわいいねー」なんて褒めてくれる人はいないけど、密かにメチャメチャ気に入っています。

 

 

 

そういえば、今年の夏用に「折五条(おりごじょう)=普段用の袈裟」を買いました。

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これも夏らしくて可愛い。お気に入りです。

 

 

 

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尼僧が二人で「アマトーーク!」(ボツタイトル)

先日、尼僧仲間と話し合った寺報コラボ企画の第一弾記事が少し形になってきました。うちのお寺の寺報7月号に載せるものですが、こちらで先行公開しちゃいます。

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まず初回はプロフィールだよね!ってことで二人でプロフィールを作りました。

項目を二人でいっぱい出し合って、あとはお互い一人の時間に埋めていく。全部埋まったらせーのどん!で公開。つまり、お互いに相手の様子を探らずに答えました。

で、たくさん項目があった中から使えそうなものを選んで決定したのが上のプロフィールです。真面目と親しみやすさをいいバランスで配合できたかなー?なんて思っています。

 

 

さて、せっかくなのでこちらではボツ項目も並べていきます。

 

■好きなアーティスト

 妙尚:ゆず
 真依:ポルノグラフィティ

※カット理由※ いかがわしいものでは決してないんだけど、誤解を受けるおそれがあるので念のためカット

 

■趣味

 妙尚:アイドル(最近の一番はHKT48
 真依:書道・読経

※カット理由※ 二人の高低差がひどすぎた

 

■ボーリングの最高スコア

 妙尚:155
 真依:79

※カット理由※ そんなに面白くなかった

 

■最近怒られたこと

 妙尚:洗車中、夫に何度も水をかけた
 真依:父の指示に「はい」と答えなかったこと

※カット理由※ ガチのやつ

 

■好きな印

 妙尚:地結
 真依:焼香

※カット理由※ 二人の間では相当盛り上がったが、これは細かく話したらダメなやつ

 

 

 

 

コラボコーナーのタイトルは「尼僧よもやま話」になりました。

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第2回からは、尼僧ふたりの対談形式でいこうと思います。
お盆明けにでも テーマを決めて語り合ってきます。

 

 

 

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ふざけてこんなのも作っちゃいました。もちろんこちらはボツ素材。

 

 

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みんなにいい人生だったと言ってもらえるのは日本人の数パーセントしかいない…のは本当かもしれない

癌患者を専門としている在宅緩和ケアのドクターがtwitterでこんなことを言っていました。

 

この言葉がなんだかずっと私の心に刺さっています。

 

今はみんな長生きだから、80歳を過ぎていても「まだ若いのに残念」って言われる。90歳でも言われる。95歳か100歳過ぎないと「十分長生きした」って言われないんだよ。まだまだ先は長いなあ。

ある老僧がこんなことを呟いていました。

 

確かに、病床の人が「いい人生だった、ありがとう」なんて言えば、「そんなこと言わないで」「もっと頑張って長生きしてもらわなくちゃ」などと言われてしまう。「まだ早すぎる」「もっと長生きしなきゃ」「まだまだ」「もっともっと」……

もちろんその気持ちもよくわかります。
でも一体それは何歳まで?? 
別れを迎えたくないのは、100歳でも120歳でも同じでは???

 

できればもっと一緒にいたかった。その気持ちは伝えつつも、「いい人生だったね。ありがとう。」と、旅立つ人も残る人もお互いに言えたらいいなと思う。

 

別れは避けては通れないもの。

長くても短くても一生。いい人生に長さは関係ない。
一生懸命に生き抜いた人生をちゃんと肯定してあげて、感謝は言葉にして伝えてあげてほしいと思います。

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「礼を尽くす」ってこのことかなって思えた、3人の身近な方々の話

昔から我が家のピアノを調律しに来てくれる調律師さん。
代金を支払うときには、お釣りを必ず綺麗な紙幣で返してくれます。

銀行へ行けば、手数料はかからずに新札を用意することができます。
でも、両替や持ち運びの手間を考えると、なかなかできることではないな、と。

 

お寺に1,2ヶ月に一度お参りに来る檀家さん。
車で2時間ほどかけて来るのですが、お寺に来るときはいつも車がピカピカです。

北海道の冬は、真っ白な雪に囲まれた地もありますが、都会などでは雪が溶けて路面はグチャグチャです。その中を走れば車は真っ黒に汚れてしまうはずなのに、冬でも汚い状態の車で来たことが一度もありません。

近くのガソリンスタンドで洗車をしてからお寺に来ているのでしょう。
帰りにはまた汚れてしまうのに。なかなかできることではないな、と。

 

今はもう亡くなってしまいましたが、古い檀家さんのおじいちゃん。
ご自宅の仏壇でお経を読んだあとのお布施は、必ず後日にお寺まで納めに来ていたそうです。5kmほど離れたご自宅からお寺に歩いてきては、必ず門の外で帽子を取り、首に巻いた手拭いを外してから境内に入り、本堂の前で深く一礼をしてからお寺に入ってきていたそうです。

いつもいつも、必ず。誰が見ているわけでないのに。
なかなかできることではないな、と。

 

これをやらなかったからって失礼と言われることはないし、誰に何を言われるわけではないだろうけど、でもしっかりと「礼を尽くす」。態度や行動の一辺から、相手を敬う気持ちが伝わってきます。

 

さて。
私にできる「礼を尽くす」ことって、なんだろう。
まずは、人との関わりのひとつひとつを丁寧に。

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調律を終えたときに調律師さんが弾いてくれる短い曲がいつも素晴らしくて、今日もうっとり。