虫歯は”バチ”じゃない

いま、我が家の末っ子(小3)が「歯が痛い」と泣いています。
原因は、虫歯。
最近、甘い物の虜になった末っ子は、家族の目を盗んでは、こっそりお菓子を食べてしまい、何度も叱られています。
特に好きなのは、アメとグミ。
お出かけ用に取っておいたお菓子を見つけ出して一人で食べきってしまったり、最近ではお寺に置いてある「ご自由にお持ちください」のアメちゃんを、勝手に持ってきて食べていたことも発覚しました。
「人のものを勝手にとってはいけません」ということは、これまで何度も伝えてきました。
けれども、末っ子にはASD(自閉症スペクトラム)の傾向があり、目の前にあるものを見ると、どうしても衝動的に手が出てしまいやすいのです。
「してはいけないこと」だと理解していても、体が先に動いてしまう。これは、脳の発達がまだ十分でないことに起因すると言われています。
私たちも何度も注意しますが、本人自身もそのたびに自分の行動に苦しんでいます。
それでもまた衝動に負けてしまい、同じことを繰り返してしまう。それでも、少しずつの成長を信じながら、注意を重ね、環境を工夫し、試行錯誤の毎日を送っています。
「お寺のものは、うちの物じゃない。お寺にあるものは絶対に取ってはいけないよ」という話も、何度も何度もしてきました。(とはいえ、それも繰り返されるので、今は「ご自由にアメちゃん」は一時撤去しています)
そして今日。
おそらく甘いものの食べ過ぎが原因で、虫歯が痛みだした。
昭和の時代なら、「悪いことをしたから、バチが当たったんだよ」と言われる場面でしょう。
私も昭和生まれ。そう育てられてきた人間なので、ついその考えが頭をよぎります。
でも、それを口に出す前に、私はグッと飲み込みました。
だって、
-
「人のものを盗る」=悪いこと
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「隠れておやつを食べる」=悪いこと
これは確かにその通りです。
でも、
-
虫歯になって痛い思いをする=罰
これを結びつけてしまうのは、違いますよね。
「虫歯になってつらい思いをするなら、悪いことはしなければよかった」
じゃあ、
虫歯にならなければ悪いことをしてもいいのか?
痛い目に遭わなければ許されたのか?
そうではないですよね。
悪いことは、たとえ誰にもばれなくても「してはいけない」こと。
そして、たとえどんな理由があっても、苦しみは「罰」ではない。
虫歯が痛いことは、悪いことをした"バチ"ではない。
さてさて。
もうすぐ、急遽入れてもらった歯医者の時間です。
虫歯治療は試練ですが、末っ子とともにがんばってきます。
あと、これに凝りて、アメとグミの量を減らしてくれたらいいなぁ…(それは難しい…か。)
あの日、ただ座っていた私へ
嬉しいことがあったので、久々のブログです。
プロフィールが38才になっていました。今は42才です。
はてブロさん、プロフィールの直し方が難しいので情報が古いところが残っているかもしれませんが、少しずつ直していくのでお許しください。
さてさて。
話は、16年前の今頃にさかのぼります。当時の私は僧侶としての修行(四度加行)の前半の約50日間を終え、夏からの後半の修行を前に、一度お寺に戻ってきている頃でした。私はまだ僧侶としては半人前。父(先代住職)はその年の2月に亡くなり、伯父が代務住職としてお寺を守ってくれていました。
記録を確認すると、父の四十九日は4月2日。私は、3月29日に修行を一度終え、すぐに荷物をまとめて四十九日に間に合うよう急いで帰ってきたことを思い出しました。
父の四十九日を終えてから1週間ほど経ったある日、地元の多宗派のご住職から電話がかかってきました。
「〇〇さんが亡くなったから、尚子ちゃんにも葬儀に出てもらえないか」*1
けれど当時の私は、まだ加行をすべて終えておらず、僧侶としては半人前。わからないことばかり、いや、むしろ何もわからない状態でした。そればかりか、加行を終えていない私は真言僧侶として認められていない部分も多く、たとえば法要で着る衣もまだ許されていませんでした。それに加えて多宗派の葬儀。お経も何一つ知りません。作法も振る舞いも、なにをすればいいのかさえわかりません。
私と母は、「申し訳ありません。1週間前に帰ってきたばかりでまだ加行も途中です。なにもわかりませんし、まだ衣も許されていないので、無理です」とお断りしました。
するとそのご住職はこうおっしゃいました。
「それでいいんです。ただ座って、手を合わせてくれればそれだけで十分です。衣がないなら、私のを貸します。喪主さんも、尚子ちゃんにぜひ来てほしいと願っておられます。大丈夫ですから、どうか来てください。」
「大丈夫。座っていればいいから。」
そう背中を押され、私は戻ってきてまだ1週間の身で、多宗派の葬儀に出勤することになりました。
衣は、本当にご住職のものをお借りしました*2。自分のものは、まだ作ってもいなかったので。お通夜の場では、お経もまったくわからず一言も声を出すことができませんでした。初めて聞く多宗派のお経、しかも「声明(しょうみょう)」という節のあるお経だったため、比喩ではなく、本当に一声も発することができませんでした。
ただ、他のご住職方とともに入堂し、席について、手を合わせただけ。それだけのことでした。ただいるだけで何もできなかったことがただただ申し訳なく思ったことと同時に、そんな私に学ぶ機会をくださったご住職と喪主さんには、心から感謝の思いでいっぱいでした。
そして、あれから16年が経ちました。
今日、買い物から帰ってきた母がこう言いました。
「さっき〇〇さんに会ったよ。この前、17回忌だったんだって。『あのとき尚子ちゃんにおまいりしてもらえて本当にありがたかった』って言ってたよ。」
言われなければ、私はもうその出来事を忘れかけていました。
なにもわからず、ただ座っていただけだったのに。
お礼を言うのは、むしろ私のほうなのに。
すべてが初めてのことで、すべてが自分にはあまりにも荷が重く、目の前のひとつひとつをただ必死に乗り越えるしかなかった。そんなあの頃のことを、16年の時を経て、今あらためて思い出し、心の底から「ありがたいことだったなぁ」と感じています。
村のお寺のご住職方、檀家さん、そして檀家さんでなくとも村の多くの方々が、頼りない私を温かく見守り、時にはそっと、時には盾になっていろんな方向から支えながら育ててくれました。
「最初はみんなできないんだから」と、何もできなかった私に機会を与え、頼りない私を一人前に扱って育ててくれる方たちが、この村にはたくさんいました。
葬儀の席にただ座っていただけの私の存在を、「ありがたかった」と言ってくださるような優しさに、今日また触れることができ、胸がいっぱいになりました。
お寺の役割も、住職としての務めも、日々の中で少しずつ学ばせてもらいながら、こうして今の自分があります。改めて、私はひとりではここまで来られなかったのだと実感しました。いまこうして、僧侶として、住職として、母として、人として、日々を重ねていられるのは、周囲の方々がの温かさのおかげです。
私のまわりには、優しい人がほんとうにいっぱいだ。
ありがたいなぁ。

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弔いランチ
コロナ禍により最期のお別れが十分にできず、悲しみを長く引きずってしまう人が多いそうです。
今年2月、私の高校時代の友人が亡くなりました。葬儀にも参列していませんし、ご自宅へのお悔やみも遠慮しました。彼女の死を実感したことといえば、新聞のお悔やみ欄で名前を見たのと、ご家族と電話で話しただけ。実感が湧いてきません。
同じようにお別れができず実感がわかないでいる共通の友人とは、「『弔いランチ』しようよ」と話しています。『弔いランチ』は私が勝手に言い出した言葉ですが、亡くなった彼女を思い出しながら、彼女と一緒に行きたかった、行こうねと約束していたところに行って、一緒に彼女との思い出を語り合おうよ、というだけのことです。
これを書いている今、お寺の納骨堂におまいりの方がいらっしゃいました。一昨年亡くなって、誰にも知らせずに家族3人だけで葬儀をした方です。その方のお友達という方が、たまにおまいりに来てくださいます。ご家族の知らないところで。
そういうのもいいなと思います。それでお友達も救われているんだと思います。
弔いのとき、弔いの方法はそれぞれに。
亡き人を想い、自分の心と向き合う時間をそれぞれに持って、少しずつ受け入れていきましょう。

子や孫へ、念珠のプレゼントのススメ
母が親戚と電話で話していました。
「孫が社会人になるから、自分の数珠を持たせたい。プレゼントしてあげたいんだけど、どこで買ったらいい?」
という相談でした。
うちはお寺なので取引先の仏具屋さんがあります。いつも念珠*1をお願いしている仏具屋さんに頼めば多宗派の念珠でも作ってもらえるので、その親戚宅にカタログを送ってお孫さんに好きな石と房を選んでもらって仕立てることにしました。
そういえば、私が札幌で会社員として働き始めるとき、親に「喪服と念珠を持っていっておきなさい。急に必要になるから用意しておいたほうがいい」と言われました。札幌から実家までは車で2時間ほどだったので、私は「いいよ、すぐ帰ってこれるんだし」と言って持っていきませんでした。
しかし、必要なときは意外に早く訪れました。働き始めて半年後、直属の上司が亡くなり、お通夜に参列することになりました。慌てて実家まで車を走らせ、自分の喪服*2と念珠*3を持ち、バッグは母に借りてお通夜に出ました。本当に「急に」必要になることをそのときに知りました。親の言うことは聞いておくものです。
社会人になると、親と離れたところでお通夜などに参列する機会が急に訪れます。学生のうちは親と一緒で「あれ持った?」「これも必要だよ」などと親が整えてくれたりしますが、社会人になって親元を離れていたりしたら自分で準備しなければなりません。それまでに親戚の葬儀などに参列したことはあってもそのときは自分で用意してはいないでしょうから、全部自分で、というのはなかなか大変です。
それを見越して、親が「もしものときのセット」を整えてあげておくのは良いと思います。社会人になるときか、20歳になるときか、その頃がタイミングとしても丁度よいかもしれません。「これからは自分でやるんだよ」と。
というわけで、全国のお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、成人のお祝い、または社会人になるお祝いに、しっかりした念珠のプレゼントはいかがでしょうか?念珠は傷んでも直しながら使えば一生もの、いや、それ以上に使っていけるものですよ。
2年前になりますが、お寺でこんなイベントもやりました。

中高生ともなれば振り回したりして壊すこともないので、そろそろいいものを持っていても良い頃だなと思いまして。しかも、いろんな材質・色のものがあるので、みんなそれぞれがお気に入りの一本を持ってほしいなと思いまして。いろいろな色の念珠見本の中から楽しんで選んでくれていたので、私もとっても楽しかったです。
大人になったら、自分の念珠をまずひとつ持つ。もし持っていないようでしたら、まわりの大人からプレゼントしてみてはいかがでしょうか。
3種類の白檀のお線香を購入し、お線香レビューしてみました
先日、白檀のお線香を数種類購入し、試してみました。
お線香の香りは最近は本当にいろいろありますが(今は下の写真のようなものも!全部お線香です!)、伝統的な香りといえば「沈香(じんこう)」「伽羅(きゃら)」「白檀(びゃくだん)」といったところだと思います。

実は私、白檀のお線香は少し苦手です。なぜかお寺には沈香の香りのお線香が多く、いただくのも沈香か伽羅のものばかりです。ある仏具関係のお店の方はこうおっしゃっていました。
「お寺さんが好きなのは沈香、一般受けするのは白檀」
確かにそんな気がします。周りのお寺さんに聞いてみると沈香派の人が多く、お寺関係でない人に2種類のお線香を嗅いでもらってどちらが好みか聞いてみると白檀と答える人が多かったです。理由はわかりませんが、不思議ですね。
そんなわけで、うちのお寺のお線香も見事に沈香系に偏っています。私自身も沈香派で白檀の良さをほとんど知らないので、詳しい方に白檀のお線香のおすすめを聞いていくつかおすすめをいただいた中から購入してみました。
左のふたつはおすすめをいただいたもの。右のものは名前とパッケージが気に入ったので買ってみました。いわゆる「パケ買い」ってやつです。
左から、
「大香木(だいこうぼく) 白檀」
ーー精華堂(せいかどう)
「白檀 九重香(ここのえこう)」
ーー梅栄堂(ばいえいどう)
「卑弥香(ひみか)高級白檀」
ーー香の宮(かおりのみや)
開けてみました。
開けたときの感想です。
「大香木」…思っている白檀の香り。それに爽やかなスーッとする香りもする?
「九重香」…薬草っぽい香りがする?なんか昔懐かしい気がするけど…なんか口に入れるもののような気がするけどなんだろう?
「卑弥香」…やさしい。ちょっと甘い?まろやか?
当然ですが、それぞれ香りが違います。おもしろい。
さて、実際に火をつけて焚いてみましょう。お線香は火をつける前と後では香りがけっこう違います。同じ部屋で焚くと香りが混ざってしまうので、部屋をいくつか用意して部屋ごとに香りを変えて焚いて試します。 
「大香木」…思ったより軽い?火をつける前は正直ちょっとニガテ…と思っていたけど火をつけたらそうでもないかも??他と比べると煙の量がやや少ない?

「九重香」…やさしい香り、爽やか、軽い。これもけっこう大丈夫。ニガテじゃない。

「卑弥香」…さわやか。軽い。白檀感は薄め?これが天然白檀? 若干煙っぽいというか焼香っぽい?これも大丈夫、苦手じゃない。
んん???
違いがよくわからないぞ……
え、、、、、3つとも良い…でいいかな…?
火をつける前の違いがあるのは分かったけど、火をつけたら違いがよくわからなくなっちゃった(;´Д`)
3つの部屋を行ったり来たりして、軽く息を吸ったり大きく吸い込んだり。
吸えば吸うほどわからなくなってきました。
部屋の広さも違うし、もともとの部屋の匂いも違うから、香りを比べるのにはマイナスだったかな??(言い訳がはじまった)
【結果】
どれも、良い香りだと思います!!!!!!
今年のお盆はこの3種のお線香をお寺に置いてあります。「本堂正面」「本堂右の永代供養壇前」「廊下のびんずるさん前」の3か所です。お寺にお参りの際は実際に試してお確かめください(^_-)-☆
ど根性の中のど根性ひまわりが芽を出した

お寺の畑の片隅、植えた覚えのない場所からひまわりの芽が出てきました。
ど根性の中のど根性ひまわりです!!
どういうことかというと・・・・・・
「ど根性ひまわり」とは?
宮城県石巻市でのこと。東日本大震災の大津波のあと、瓦礫の中から一本のひまわりが芽を出しました。津波によってどこからか流れ着いた一つのひまわりの種が、塩害にも負けずにたくましく育ち、その夏、大きな花を咲かせました。勇気をもらった石巻の人たちは、そのひまわりを「ど根性ひまわり」と呼びました。
その夏の終わりに採れた約150個の種は2世3世と生命を繋ぎながら、日本各地や海をも越えて大勢の人に育てられています。2011年の夏に花を咲かせたひまわりが一世とすると、今年2021年に咲く花は【ど根性ひまわり11世】です。
「ど根性ひまわり10世」から「ど根性ひまわり11世」へ
去年の春、縁あってど根性ひまわり10世の種が真言院にやってきました。真言院の裏の畑で育て、その種をとりました。3月の法要のとき、お参りくださった皆さんに真言院の畑でとれた【11世の種】を持ち帰ってもらいました。

ここまでの話はこちらに↓↓↓↓↓↓
そして、今年ももちろん、お寺の畑に【11世の種】を植えました。しかし、その植えた場所以外のところからひまわりが生えてきたのです。考えてみると、きっとこれは鳥に食べられてしまった種の一部です。鳥が落とした種が冬を越え春に土に根を張り芽を出したのです。
すごい!!ど根性!!!!
今年も元気にたくましく大きな花を見せてくれるのか、来年に繋ぐ種はちゃんと採れるのか。夏がとても楽しみです。

園児みんなに挨拶してくれるおばあちゃんが大切にしていたこと
孫もひ孫も保育園には通っていないけど、運動会を見に来たり子供達の名前を覚えて挨拶してくれる、保育園の近所に住むおばあちゃんがいます。園児に会うとみんなに「おはよう」「元気だねえ」「大きくなったねえ」と声を掛けて笑ってくれ、園児みんなのおばあちゃんみたいだなあと思っていました。
ある日、ふとしたことからそのおばあちゃんの昔話を聞くことになりました。
「実はな、2回子供を堕ろしてるんだ、生活が苦しくて。そのときに、当時世話になったおばさんに、『よその子でも誰でも子供を可愛がりなさい』って言われたんだ」
その話を聞いて、おばあちゃんは本当にみんなのおばあちゃんだったんだと思いました。よその子も、自分の子や孫と同じように想ってくれていたんです。おばあちゃんは若い頃に言われた通りに生きていたんです。
子供達に注いでくれた愛は、昔に失った小さな小さな命にもきっと届いていると思いました。

