僧侶の姿をしていると、周りの人に見られているなと気になります。おそらく私の気にしすぎではなく、実際に多少は注目をされていると思います。見知らぬ方がドアを開けてくれたり、順番を譲ってくれたり、たまに「あ、坊さんwww葬式??www」みたいな声が聞こえてくるときもあります。
お参りの合間など一人でご飯を食べることがたまにあるのですが、人の目が気になるのでお店に入って食べる勇気がありません。せいぜいコンビニエンスストアでおにぎりやパンを買って食べたりする程度です。そのコンビニでも、
「おにぎり…鮭は大丈夫だろうか。」
「さすがに豚カルビはまずいよな…。」
「卵サンドは大丈夫かな…。」
「カツサンドはダメだ…ハムは…?『坊さんハム買ってたよwww』とかならないかな…」
など私の自意識過剰が発揮されてしまいます。
以前、コンビニで他のお坊さんに遭遇したことがありました。私はそのとき私服だったのですが、やっぱりお坊さんが何を買うのか、気になって見てしまいますね。
たまに空港で見かける、スーツケースを引いて歩いているCAさんたち。
あれも気になって見てしまいますね。「私もあのCAさんたちとと同じかな」なんて思ったりしています。調子に乗りましたすいません。
普段の私はあまり行儀の良いほうではないのですが、僧侶の衣を着ているときには気を付けるようにしています。姿勢は正しく、言葉遣いも丁寧に。横断歩道の信号が点滅しても、走って渡ったりせずに、ちゃんと待ちます。閉じかけた扉を足で押さえたり、足で扉を閉めたりなんかしません。(逆に言えば、普段の私はついやっちゃうということです…)
普段の私は言葉遣いもあまり綺麗ではなく、毒を吐くこともままあるのですが、僧侶の姿で毒を吐いて空気が凍った経験が何度もあります。普通の30代女性なら許される発言も、僧侶だと許されないなんてことがたくさんあるんだなぁと感じています。とにかく、自分の頭の中にある「僧侶像」のようなものを自分で壊さないよう、気を付けて行動するようにしています。
ところで、密教には「三密行」という修行があります。 これは仏の「身(しん)」・「口(く)」・「意(い)」、つまり、体と言葉と心を、仏さまと同じようにするように真似る修行です。有名なものでいえば「合掌」など、仏と同じ印を結び、仏のことばと同じご真言を唱え、そして仏のような清浄な心をまねぶ。それこそが修行なのです。私の「僧侶らしく振る舞う」というのも三密行に似ているような気がしています。
しかし、ここで思うのは、私は僧侶の衣を着ていても着ていなくても、僧侶です。衣を着ているときだけ姿勢を正しているのでいいのだろうか、ということです。
だめですよね。本当はだめですよね。わかっています。
少しずつ、少しずつ。僧侶らしくなれるようがんばります。
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